某全国紙 昭和15年12月31日 朝刊 3面


 破れた‘観音力’
 インチキ療術師一味検挙


国立国会図書館 蔵
玉川署では世田谷区玉川上野毛町234療術行為業者 岡田茂吉(62)弟子 池○ひさ(52)同 木原○一郎(42)三名を数日前より医師法違反で取り調べている。岡田は四年前岡田式指圧療法を開業、患者が来ないので、以前大本教の幹部をしていた経験から信仰と療法を結びつけて宣伝、これに釣られてきた患者に白紙に「観音力」と書いたものを十円で売りつけ、更に講習会を開き一週間五十円の講習料をとり月に二、三千円の悪銭を得て雇人七人、助手二人を置き豪奢(ごうしゃ)な生活を送っていた。


相変らずのイイカゲンな取材内容と、バカにしたような稚拙な論調です。ただこの当時も今と同様、怪しいインチキ宗教紛いが数多く存在したのも事実で、当時の官憲の方針とも相まって新宗教に対する記事は各社揃って同じような取り扱いでした。
 インチキ記事の内容はともかくとして、注目すべきは日付です。第二次玉川事件といえば昭和15年11月28日〜30日と思っていましたが、この新聞の日付からすると、どうやらその後も執拗な取調べは続けられていたようです。
そしてもしかすると昭和15年は取調べで暮れ、新年は取り調べで明けたのかもしれませんね。ここまでくるとただのイジメですわ!


「そんな事で医療妨害の罪に問われるとしたら、到底持続してやる事は出来ないから今日限り廃業します」と言い放ったので、今度は彼(主任刑事)の方が唖然としたようであった。それが十一月三十日である。
 ところが彼は先手を打たれ、よほど口惜しかったと見えて、それから数日経たある日私を呼出し、「誓約書をかけ」と言うので、私は
「何の誓約書だ」と訊くと、
「君は療術行為はいかなる事情があっても一生涯やらない事を誓うという事を書いて出せ」というので、
「実に御念の入った事だ」と驚きながら、言うがままの誓約書を入れたのである。ところが、これについておもしろい事が起こった、というのは翌年であった。それは某大臣、某将軍、某大実業家等が私の治療を乞いに来るので、私は、
「今は廃業して治療は出来ない事になっているから、是非治療して貰いたければ、警視庁の許可を得なさい、そうすればいつでもやって上げる」といったので、それらの人は、警視庁へ許可を受けにゆくので、同庁でも当惑し私に向かって、「療術行為の届出」をして貰いたいと要望するので、私も仇を討てたような気がしてその通り届出をし、それからやむを得ない人だけ治療をしてやる事にしたのである。それが終戦までの経路であった。
昭和24年12月30日



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