明治43年(1910) 浅草公園第六区の賑ひ


 国立国会図書館H.P.より転載
※当画像及び上記H.P.画像の複製には、国立国会図書館の許諾が必要です。



「その後付近に三友館というのが出来たが、ここは映画とキネオラマと言って、動くパノラマのようなもので、色電気で風雨雷鳴のような天然現象を巧みに表わすので、一時は大いに受けたものである。それから次々出来たのが富士館、大勝館、オペラ館、帝国館、日本館などであったが、当時大当りした映画といえばジゴマ、名金、天馬等で・・・」
昭和27年


リュミエール兄弟が所謂「映画」を発明した3年後には既に映画を観られていた明主様ですから、日本の初期映画史については何でもご存知だったんでしょうね。そして特に初めて映画をご覧になった浅草六区は思い出も多い場所だった事でしょう。
上の写真で言うと、左手前の建物が大勝館と思われます。その隣も同じく紀念大勝館。三友館は左手前で写真外、その隣(写真外)が富士館、右のノボリはオペラ館の物かもしれません。
右端に交番がありますが、そこから右へ浅草公園と大池が広がっていました。仁丹の看板あたりは花やしき遊園地でしょうか。
それから遠くに見える塔は凌雲閣(通称十二階)で、その手前の白い建物が浅草国技館(劇場)です。十二階は千束町の南端にありましたので、おそらく明主様は毎日目にされていた事でしょう。ご自宅はたぶんその少し奥だったと思われます。


現在の写真で言うと、左手前のノボリのある演芸ホールが、かつての三友館、その奥の花輪がある所が大勝館、これは今でも大勝館です。



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