浅草公園周辺
浅草神社 浅草公園週辺というよりも、観音堂(本堂)の横にあります。早速すいません! 隅田川で漁猟中に浅草寺御本尊の観音様を網ですくい上げ発見した、檜前浜成、竹成兄弟と、その観音様をお祀し浅草寺の起源を創られた土師中知の御三方を御祭神としてお祀りしており、この事から「三社権現社」地元の人には「三社様」と呼ばれ親しまれています。この権現造りの社殿は度重なる江戸大火、戦災をも免れており、慶安2年(1649)に三代将軍家光によって建てられた江戸時代初期の建築様式を伝える貴重な建物です。有名な三社祭りはこの小さな神社の大祭です。 |
浅草六区 震災前のこの辺りは、演芸場、活動写真館、オペラ館、凌雲閣(りょううんかく)、見世物小屋、露店などが並び、東京の一大観光スポット、情報発信地でありました。 明主様が旧千束町にいらした9歳〜17歳の頃の六区は、そんな大歓楽街華やかなりし時でした。 15歳頃からの闘病生活の中、ここでの芸能、活動写真観賞などは、若き明主様に新鮮な感動と刺激、興味と喜びを与えたことでしょう。 |
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そんで我慢しきれず、、、小生も、昼間っからやっちゃいました。。。 結構人気のある店の牛スジ煮込み。どー考えても無化調とは思えないゾ〜、でも正直結構、つーかうまい!昼間っから露店でホッピーかぁ。。。幸せだなぁ。。。だめになっちゃいそ〜ぅ。。。ヽ(^。^)ノ。。。ホッピーと中お代わり2杯してしまいました。ちょ〜ど良し!しかし暫くしたら、めずらしく頭が痛くなってきたゾ〜、さっきの中味の焼酎がイマイチだったのか、体調不良だったのか、それともこれが、御気付けなのかなぁ。。。反省。。。 仕切りなおして!次へ!!! |
明主様の御論文、お話しに度々登場し、絶賛の九代目市川団十郎!ちゃ〜んといらっしゃいましたよ!!浅草寺境内裏に!!! 大正8年に造られ境内にあった、明治の名優九代目市川団十郎(1838〜1903)の銅像は、戦時中の金属回収の為、供出され姿を消しました。しかし昭和61年にそれを復元、再建されたのがこの銅像であります。 たしかに動かない。。。当たり前だ! |
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これは明治45年日本初のバーとして開業した神谷バーです。この神谷ビルは大正10年からここ浅草1丁目1番1号に建ってました。名物は明治時代からあるオリジナルの電気ブランですよね!「電気」は文明開化のハイカライメージ、「ブラン」はブランデーの意味。まあオリジナルカクテルですかね。 やっぱ浅草の締めは神谷バーかなぁ。ひとり天狗会でもするか。 つーことで「神谷バーに久方ぶりに入りけり」 |
これが電気ブラン(\260)です。味の方は養命酒、いや違う違う!CINZANO ROSSOみたいな感じで、甘くて、独特の香草の風味がします。いや薬草って書いてあるなぁ。。。生ビールと交互に飲むのが「カミヤ流」ってポスターが貼ってあるんでやってみました。うむ。確かにありかも!こりゃ効くゾ〜!もう、何杯飲んだか忘れてしもた〜〜〜ぁ 酔っ払いのひとりごと。。。 このビルはたしか東京大空襲で煙硝しながらも建ってるんだよなぁ。歴史感じちゃうよなぁ。。。 庶民の社交場神谷バーも最近じゃコジャレタ若いカップルもいたりして。。。いや、外人さんまでいるゼ。。。空襲で燃えたんだぞぉ、空襲でぇ。。。平和ってありがたいなぁ。地上天国にしなくっちゃ。。。zzz 何やってんだぁ今オレ〜。。。 写真家、木村伊兵衛の神谷バーで酔いつぶれてるオヤジの写真思い出すなぁ。ちょうど今あんな感じかなぁ。いや、あんなイイ味出してないなぁ。でもありゃイイ写真だぁ。。。 あれ!このページ殆どみあとしのんでないゾ!ただのかつお式だぁ。。。次からしっかりします。ご容赦を。。。↓ |
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