法難手記 昭和25年10月30日発行


はしがき


 この記録は昭和二十五年五月八日発生し、同年七月十二日一段落着いたまでの、私の嘗(な)めた体験記録であって、これによって目下起訴中の私の裁判を有利に導こうなどという考えは毫末(ごうまつ)もない。ただ早い内に書かないと記憶を失う虞(おそ)れがあるから、筆を執ったまでである。今回の事件は私にとっては非常に尊い体験であって何人(なんぴと)といえども、現代社会に呼吸している以上、僅かな不注意や思い違い、法に無知なる等のため、思わざる災禍を被る事を、充分知っておかなければならない事を痛感したからで、それらを一人でも多くの人に、知らせたい老婆心から、これを書いたのである。そうして当局者に要望したい事は、真の民主日本たらしめんためには、司法行政の面にも、改善すべき幾多の課題のある事を、この手記によって感得されたい事で、私はこれを念願して止まないものである。
 今度、私が二十二日間に亘(わた)った体験によって得たところの、警察官並びに検事の取調べは、到底想像だも出来ない程の、非民主的のもので一般にはほとんど知られていないようである。もしかくのごとき不合理が許されるとしたら、今後いかに多くの無辜(むこ)の人民が災いせられ、苦難を被るかは、計り知れないものがあろう。この事実を知った吾らは、何としても救わずにはおられないのである。いかに完璧なる憲法が制定されたとしても、その運営がこれに伴わないとすれば、せっかく得た自由も民主主義も、泥土に踏みにじられる結果となるであろう。今において一日も早く一大覚醒をされなければ、寒心に堪えないと思うので、これを赤裸々に発表するのである。吾々は専門家ではないが、そもそも法の建前なるものは、善を勧め悪を懲らし、よりよき社会を作り、最大多数の最大幸福を実現する。それが基本的信念であらねばならないと惟(おも)うのである。
 しかるに、今回の事件に当って、身をもってつぶさに体験した結論によれば、右目的とは余りに背反している事実である。私は御承知のごとく一宗教人ではあるが、宗教の本来も、よりよき人類社会の実現を目標とし、善を勧め悪を懲らし、理想世界を作るにあるのは言をまたないのである。従って、吾らがいかに宗教弘通(ぐつう)に専念し、自由民主主義社会を企図するといえども、法の運営に当る人達が、それに無理解であるとしたら、ここに覚醒を促し、正しき認識の下に、所期の目的を達せられん事を願望するのである。それがための一資料として、本記録がいささかなりとも、役立つとすれば、幸甚この上なき次第である。とは言うものの、省りみれば、吾らといえども今回の事件によって、今日までの経営がいかに杜撰(ずさん)放漫を極め、監督不行届きであったかは、まこと自責の念に堪えないものがある。もし今回の事件なかりせば、放漫は知らず識らずの中に、幾多災いの種を蒔いたかも知れなかったので、大難が小難で済んだと思ったのである。
--中略--
 次に、本著の目的について、今一つの重要事がある。御承知のごとく、今度の事件発生するや、大抵の新聞紙には、特ダネ扱いに大々的に報道されたが、その記事を読んでみると、随分出鱈目(でたらめ)が多いので、社会を誤るのはなはだしきを憂い、一応の弁明をなす必要あるを思うのである。吾らも宗教家として神意を体し、救世済民の聖業に奮励しつつある以上、この際真相を披瀝し、誤解の暗雲を一掃するこそ執るべき喫緊(きっきん)の手段と想い、これをかくのである。この意味において吾らの誠意のあるところを酌みとられいわゆる、法難の実態を把握されると共に、公正なる批判をされん事を、望んで止まないものである。

 昭和二十五年八月
                記 録 者 識


     

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