サンデー毎日 昭和25年1月22日号 P29〜31

[随筆]  
観音教霊験記
 自観大先生と語る

  岩崎 栄

※取材場所は清水町仮本部

窄き門(せまきもん)

 生来の臆病で、天理教だの、金光教だのと聞くと、なんとなくギョッとするたちなのだ。
 だから観音教と聞いて大いにたじろいだのも覆(おお)い切れない事実だった。臆病と同時に宗教心も欠如しているのだろう。
 尤(もっと)も、中学生時代に救世軍の少年兵となって、ただ信ぜよ、信ずるものは幸なり・・・・・・と町角で喚(わ)めきたてた経験はある。そして校長にひどく叱られ、一週間の停学処分をうけた想い出を持っている。しかしこれは宗教心のせいではない。赤いシャツで景気よく太鼓を引ッぱたき、蟻集(ぎしゅう)するアダムやイヴを呆れさすのが愉快だったからだ。
 臆病未れんではあるが、好奇心と冒険欲は人後におちない。郷里の町で一ばん最初に、いかがわしい興行飛行に同乗した僕である。あのときはあとで、おふくろに泣かれ、伯母からは十七円の借金を手きびしく催促されて弱った記憶がある。
 さて観音教だが「日本観音教本部」と看板のかかっている入口は、案外にも狭小(きょうしょう)な門であった。築地本願寺の豪壮な殿堂を出て来た眼に、これは神さまの別荘ではないのかと戸惑いを感じるほどの窄さなのだ。あとで聞くと、やはり、ここは誰かの別荘を買ったのだということだった。
 富めるものの天国に入るは駱駝(ラクダ)が針の孔を潜(くぐ)るよりも難しとキリスト教でも説くそうだが、コケ脅しの広大な門戸よりも、窄い入口の方が天国の通用門らしくていいというわけか。酒を飲んで、ごちそうを食って、三味線太鼓で舞ったり踊ったりの入り易い門を、いい気に誘いこまれて、さて気がついてみたら、財布の底も家屋敷もカラッケツなぞという宗教も、しかし国法では立派に認められてはいるけれど−−。


己れを空(むな)しく

井上茂登吉という人に先ず会った。教団の執事だというから、衣冠束帯(いかんそくたい)の、どんなにか厳(おごそ)かな人物が現れるのかと、密かに怖れをなしていると、つい羽織袴の五十年輩の人が出て来て、ああいらっしゃい。寒いですねと、極めて通俗な挨拶だったので、なんだか肩すかしを喰らったみたいな、しかしともかくホッとした安易な気持になれた。
 「お旺ンなようで・・・・・・」 「ええ、おかげをもちまして」
 「新聞なぞで、叩かれておいでですね」 「一犬虚(いっけんきょ)に吠えて
(1)−−もとこの教団に関係した人物ですがね、いろいろとごたごたしましてね、無心に来たり何かしましたですが、際限がないですからね、それで中傷誹謗をやり出したですよ。あること無いこと、新聞社や進駐軍にまで投書しましてねえ。その投書を見た新聞社がですね、来て調べてくれれば疑いは晴れるんですが来ないでいてなんとか、かとか書くわけなんで、そこへ行くと進駐軍の方は、ちゃんと調べに来ました」
 「調べて−−何か出ましたか」 「泰山鳴動(たいざんめいどう)して
(2)−−ははは、何も出ませんね。O・Kッとか言って帰りました」
 「ミカン箱に百円札が山と・・・・・・」 「さあ、フタ箱ばかり、そこの廊下の隅に重ねてあったでしょうか、あの頃はパラダイスの山を買ったり何かで、支部から送金をうけていましたからね」
 「税金問題は、あれはどうなりました」 「はァ、あれは痛かったですよ。宗教法人は無税なんだそうですが、つい迂闊(うかつ)で、目下工事中の瑞雲山や、箱根の土地などを大先生の、岡田自観名義にしていたものですから、個人財産と見られたわけです。慌てて法人に書き替えても駄目ですしね、税務署も同情はしてくれましたけど・・・・・・」
 「話は変りますが、こちらでおやりになるあの御浄霊ですか、あれどういうんですか」 「あれは、神のお光りを身にうけている者が手のひらを、こう突き出してですね、相手の患部から二尺ばかりの距離で、こんなぐあいに動かしていれば、手の尖(さき)から生気がほと走って病患を治すわけです。あなたどこか悪いところでもおありですか」
 「さァ−−この右の腰が、神経痛みたいで、ここ二三日右脚を引きずってるんですけど」
 Kが、井上さんにやって貰ったらどうだと勧める。おれもこの前歯痛で飯も食えなかったのが、一ぺんにケロリと治ったよと証言する。
 「無信者にも利くですかね」 「利きます。どのあたりですか」
 井上さんは僕のうしろに来て立った。
 右の大腿部を叩いて、このへんだというと、井上さんは、そうですかといったきりでいつまでも黙っている。何をしているのかうしろは見えないが、手の平を突き出して何かやりはじめているのだろう。こんなバカ気たことが利くものかと、なにも喧嘩腰で反抗するにも当たるまい。いいや、きっと利く、科学もハチの頭もあるものか、有難いことだとムキになる必要もなかろう。則天去私(そくてんきょし)
(3)、ただ無心に、漫然と、風に吹かれる柳でいれァいいんだ。
 信者の総数はどのくらいかとKにきくと、五六七教団が十五六万、天国会が六七万という返事だった。
 五六七と書いて(ミロク)と読ましている。Kの説明によると、ここでは(ミロク教)と(天国会)とが、兄弟のように協力して日本観音教団を結成しており、その上に鎮座するのが大先生岡田自観というわけなので、観音教の本部は熱海にあり、ミロク教は小田原に、天国会は熱海に、それぞれまた本部を置いている。天国会の会長は中島一斎先生。五六七教の管長は渋井總斎先生となっているのだそうである。
 そんな話を聞いているうちに、ふと気がついたら、井上執事はもう僕のうしろにはいなかった。大広間で善言讃詞というのをやっているんだ。行って見ないかと誘われ、廊下を幾曲りかした奥へと導かれて行った。
 いかさま
(4)、広い畳敷きの大部屋に何百人かの人が正座合掌し、井上執事のリイドで、祝詞調の「善言讃詞」を合唱している。まことに旺んな光景である。
正面の大床に観音像(5)の立派な大軸がかかって、その前に椅子と卓が据(す)えてあり、井上さんはその卓の横に座り、マイクロホーンに向かってすばらしい美声を発揮している。まったく、見かけによらぬたいした調子だ。みかけは仕立屋の大将が婚礼の客に来たみたいだが、陰で聞いたら、芳村伊十郎と延壽太夫(えんじゅだゆう)を一しょにしたような声なのだ。
 「善言讃詞」のあとが「御讃歌」になる。御讃歌というのは、自観大先生自作の短歌を朗詠調に合唱するのだった。
 観世音菩薩のみむね心とし すすむ人こそ真の人なれ(6)
といったふうのものである。
 「いまにこの正面の椅子、卓のところへ大先生が、お出ましになる」
 K君が囁(ささや)く。生き神様−−お光りさま−−大先生−−紫衣の大僧正型か、天神さまみたいな公卿(くぎょう)姿かと、歌舞伎座の舞台を見る緊張に胸を固くしていると、そこへ、床脇からチョロリと来て、すッと腰をかけるしらがあたまの小柄な老人があった。
 「あれァなんだい」 「叱ッ」
 その人が自観大先生だったのには驚いた。紬(つむぎ)か何かの羽織を引っかけて−−なんのことはない、隣組の常会(じょうかい)に出てくる横丁の隠居、といった程度の出現である。それでも信者一同は、風に靡(なび)く葦(あし)のように平伏したが、大先生は委細かまわず卓上の帳面みたいなものをさっと手にとって読みはじめた。半紙を十枚ばかり綴じたもので、表紙に「お伺い」と書いてある。方々の信者が持ち出した質問に大先生が答えるわけなのだ。
 −−私の家の囲炉裏は大き過ぎるから小さくしようと思うと、世間の人が、大きくするのはいいが小さくすると災難に罹(かか)るというのです。ほんとうでしょうか−−
 こう読んで、そこで、大先生は煙草に火をつけながら、即座に御名答をくだす。
 「あ、これァ迷信ですよ。大きくするのがいいッたって、しまいにや家一ぱいに炉を拡げて人間は外で寝るか」
 何百人かゲラゲラ笑い出す。大先生も大いに笑う。和気堂に満つるの風情である。
 「ほんとにバカげたことでございますね」
 卓のすぐ前のところで、ズボンの膝(ひざ)をまッ四角にかしこまった角力(すもう)の年寄みたいな人物が合いの手を入れた。
 「あの人が五六七教の渋井管長だよ。そのうしろの婦人が奥さん」Kが教えてくれた。
 −−うどんげの花が咲くと不幸があるそうですが、私の家で以前一度咲き不幸がありました。いま親類の家でまた咲いています。何か霊的に関係がございますか−−
 「印度にウドンゲという大樹がある。あれはみごとな花が咲くんですがね、日本でいうウドンゲは菌ですよ。よく電燈の笠などに微生するでしょう。不浄な家庭に咲くものだ。悪霊が溜まってるんだ。自然、病人や死人が絶えないわけです。浄霊すれァいいんだ」
 −−無肥料耕作でも、麦踏みはどうでしょうか。必要ないでしょうか−−
 「麦を踏むのは、冷えたり凍ったりした土壌が麦の根を浮き上がらせて枯死させるからですよ。せいぜい踏むがよろしい」
 −−私は十年も前から下腹部に拳大の腫物が出来、何度医者の手術をうけても治りませんからほうって置いたら、この頃になって膿が出るようになりました。いかがいたしたらよろしゅうございましょうか−−
 「ほうって置きなさい。膿があるのは治るらしいです。すべて病気に罹(かか)るのは、あれは悪いところが治ろうとして、人体自然の生活力が、熱を出したり、痛んだりするのです。それを医薬や手術でいいかげんにごまかすから、いつまでも治らなかったり、ついにはつッつき殺したりするんだ。流れ出る膿の始末しながら心身を浄霊することですね」
 お伺いなるものは、およそ二十件くらいもあったろう。それがすむと今度は、文書箱から二三の原稿を取り出して、井上さんに渡した。井上さんがそれを、例の美声で代読する。
 これは、大先生の予言であり、指導であり、また訓話でもある。
 法悦に浸った五百の男女悉(ことごと)く、酔えるが如くに聴き入っている。中には法悦に酔い過ぎたのか、コクリ、コクリといねむりの妙境に揺れているのもあった。
 最後に大先生は「寸鉄」と題した原稿を井上さんに読ました。
 −−病気を治し得ない医者の方が科学者で、治してやるわれわれの方が非科学的だというんだから・・・・・・僕は目下、火で物を冷し、氷で物を煮る方法を発明中だよ−−
 「いかにも御尤もでございますなァ」
 わが意を得たりとばかり、渋井さんが膝を乗り出すようにして打ち頷(うなず)く。
 −−本教は江戸で生まれたんだから、さしずめ、宗教界の助六なんだよ−−
 「ほんとにさようで・・・・・・」
(7)
 −−この糞ッくらい野郎め−−なにを、誰れが糞なぞ食うか−−糞をぶっかけた野菜なぞ毎日食ってやがるじゃねえか−−ギョッ、ギョギョッ−−
(8)
 どっとばかりに受ける。女たちは腹をかかえて笑いころげる。
 この笑いの海をあとに、大先生はさッさと退席してしまった。みんなは慌ててうしろ姿におじぎをしている。


恋物語

 昼食後、大先生が例の広間で映画を観賞しているというので、覗いてみたらここも亦(また)実に和気藹藹(あいあい)たるもので、大先生は信者たちと一しょに、スクリーンのレヴュウ映画に笑い興じていた。
 大先生と並んで、一つ火桶に手をかざし合っている、でっぷり肥った上品な婦人が、大先生の奥さまだった。これはよほどの大夫人である。大先生の倍くらいな嵩(かさ)に見える。
 「この前の仔鹿物語はよござんしたわね」
 「ああ、グリア・ガースンだったかね」
 なぞと睦まじく囁(ささや)き合っている。
 やがて大先生との一問一答を許されて差し向かいに座った僕は、先ず一ばん気になる問題から口を切ってみた。それは、この常会の物知りおじさんみたいな老人が、果たして生神様そのものであるか、どうかの解決である。
 「あなたは神様ですか」
 「私は神様の道具だと思っていますね。神様がこの私の体をいろいろお使いになる」
 これで第一問は解決した。
 「私の腹のここんとこに固まりがあるんです。これは火素だから、これから生気が奔(はし)るです。火素を抱いてるから、私の体は非常に熱いです」
 これはたいへんなことだが、しかし人一倍寒がり屋の僕には羨ましい話ではある。
 「どんなに寒いときでも、入浴後の三十分くらいはユカタ一枚で涼まなくてはならないんです。だから私の入る湯は、いつも日なた水くらいに加減してもらうんですよ」
 「では、医薬を排斥なさるのは、どういうわけなんですか」
 「私はほんとの、正しい科学を否定するのじゃありません。ただ当今の科学というものが非常に幼稚だから危険だというんです。まずざっと四五百年先きでないと、ほんとの科学らしいものには到達しませんね」
 「先生は、青年男女の恋愛については、どういうふうな御意見をお持ちでしょうか」
 「これは熱病だから、これはですな、必ずしも大いにやれと奨励すべきでもなく、また弾圧すべきものでもないですね。私もこの熱病に罹(かか)って、もうちょっとで心中するところでしたよ」
 「へえ、そいつは愉快ですね」
 「愉快どころか。生きては添(そ)えない、いっそあの世で・・・・・・というわけでした」
 「やりましたか」
 「いや、妻子を犠牲にするに忍びなかったから、己れの愛欲を殺すのが人道だと、よくよく先方を説きましたよ」
 「先方は、どんな人種でした」
 「柳ばしの、相当な妓(こ)でした。○○男爵がたいしたご執心の女でしてね。それを振りつづけて来たんですけど・・・・・・ついに条件をつけましてね、その別れるについて、私は今後絶対に恋愛はしないとね。すると先方でも、じゃァ今日かぎり芸者を廃業してイヤな○○さんのお妾(めかけ)(9)になりますと」
 「いや、どうもごちそうさまでした」
 「なに、おそまつさまでした」




(1)一犬虚に吠えて万犬実を伝う=一人がいい加減なことを言い出すと、世間の人はそれを事実のように伝えてしまうこと
(2)泰山鳴動してネズミ一匹=大騒ぎした割りに実際の結果が小さいこと
(3)則天去私=自己本位の考えを捨てて、自然の中において物事を見極めようとする姿勢
(4)いかさま=[感]なるほど [副]確かに、本当に
(5)五秘仏観音様(昭和7年揮毫)=当時の清水町仮本部御神体

 「--略--これは五秘仏と言って昔からあります。いわゆる御脇下の四柱は、観音様の四天王とか観音様の四魂とも言います。」
 --真言密教は五秘仏で--
 「そうです。それで真ん中は私だから白髪です。あとのは頭が黒いでしょう。」
御垂示 昭和28年8月1日

(6) 観世音 菩薩の御心心とし 進む人こそ真の人なる

(7)「ほんとうにさようで・・・」渋井先生が合いの手を入れる。=御講話はこのような絶妙なテンポで行われていたんですね。宗教臭さもちっとも感じません。布教の最前線に立つ各御先達も明主様をお手本に、和気堂に満るの風情を大切にされていたようです。
 また以前ある御先達から聞いた話ですが、明主様との日常の会話において、渋井先生のような素直な返答が出来ずに、少し口ごもったりすると、ご機嫌が悪くなられると言う事もあったそうです。
偉そうや、怒るのが嫌いな明主様が何故???
「神」「人」「素直」「結論」と言う事が、キーワードの様な気がしましたが、皆さんはいかが御考えでしょうか。。。ともあれ渋井先生の合いの手が微笑ましい。


(8)ギョッ=昭和24年から始ったNHKラジオ番組「陽気な喫茶店」にて、司会の内村突破氏が多用して流行ったワンフレーズギャグ。後に寸鉄・御論文でも使用される事となった、日本ギャグ史上における至宝である。
 なんてまあ谷啓氏の「ガチョ〜ン」みたいなもんですけどね(笑)  えっ、知らない?!。。。んじゃ、志村けんの「あい〜ン」みたいな。。。えっ、これもダメ?! んじゃ、たけしの「コマネチ!」 みたいな。。。えっ、古いっ?! んじゃ、しょこたんの「ギザ!」みたいな。。。 んっ?こりゃ違うか! まあ日本人は昔からワンフレーズギャグが好きって事で。。。OK牧場? ←これガッツさんね!


(9)妾(めかけ)=婚姻している男性が、妻以外に扶養する女性のこと
 当時のお金持ち、そうでもない者でも、お妾さんのいる人は結構多かったようです。文明開化・デモクラシーとは言いながら、都合のイイとこだけは江戸時代を引きずっていた、そんな明治・大正期だったようです。まあこの辺りは色々あるようですが、何か言い訳がましくなるのでココまでに。。。

 勿論明主様にお妾さんなんていませんが、お若い頃には芸者遊びもされた事のある明主様。。。でもここは多少、時代背景も考慮するべきなんでしょうか。。。(全面援護)やや苦しい。。。
 ただ明主様の御生涯・御体験それ自体が既にプログラムであり、後に集約して御教えとなる様な気がよくします。それ故私達の恋愛に関する御教えも、具体的且つ明確で、沢山あるのかもしれません。そして一部の信者にとっては良い意味での悟空の頭の輪、禁箍児(きんこじ)とさせて頂いている、、、ようです(笑)
 悪い事するとキンコジが締まって、ギュッ〜!です。 (^_^;)
 皆さんキンコジ、キンコジですよ〜! ヽ(^o^)丿
 ちなみに禁箍児は観音様ゆかりの品だそうです! (-_-;)


今回この記事を読んで明主様の観音教がどんな教団だったのか、何となく判らせて頂けたような気がしました。
こういう雰囲気的な部分も、結構重要な御教えかもしれませんね。
筆者岩崎栄氏、並びにこの記事の情報を下さった方に深く感謝いたします。


「光」新聞45号 昭和25年1月14日発行
 毎日新聞社発行の「サンデー毎日」一月二十二日号は「観音教霊験記」と題し作家岩崎栄氏の自観大先生との会談記を写真入で三ページにわたり掲載した。
 これは「毎日グラフ」の写真報道に対応、本教の概要と大先生の人間的半面を作家の感覚で随筆風で書いたもので、とかくデマ報道の多い戦後新聞界において公平かつ真面目な態度で本教を描こうとした毎日社の編集企画はやはり同社の健実な社風をしめしているものといえる。
 定価二十円(郵税三円)全国の書店または新聞販売所で売っているから早く購入するとよい。



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