参考御論文等

 天照大御神様


「罪穢を赦し給う権能を有(も)ち給う神は、天地間、ただ一柱より在さないのである。それは、宇宙の支配者たる主の神にして、その主の神の表現神で被在(あらせ)らるるのが、畏くも天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)様で被在らるるのである。
 天照皇大神様は、独一真神にして、最尊最貴の御神格に被在らるるを以て、直接、人間への御救いの業は不可能の御事が神律なのである。何となれば、人民とは余りに隔絶し給うが故である。--中略--洽(あまね)く、世界万民を救わせ給う御心の現れとして、救いの執行者を遣(つか)わされ給うたのである。それが観音、阿弥陀、釈迦、基督(キリスト)、マホメット、その他の各聖者達である。」
昭和11年2月17日


※古事記では天照大御神、日本書紀では天照大神と記載され、伊勢神宮では天照皇大神と尊称申し上げているそうです。
皆様お気づきのように、ここ神山では「天照主大御神」と、「主」の文字が入っております!


「然らば真に正しい、高位の御神霊は、何神で被在(あらせ)らるるかというと、それは主の神の表現神で被在らるる天照皇大神であられるのである。天照皇大神様は最尊最貴の御神格に渉らせらるる故に、人民が自己の希望を念願し奉る如きは、まことに恐多いのである。--中略--之を要するに、日本人としては、天照大神様を尊信し、伊都能売神又は、観世音菩薩に対し奉り、御守護と御霊徳を願い奉る事が最も間違いない信仰である事を、心得ねばならないのである。」
昭和10年頃


「天照大神様が国常立尊に審判の権を委ねられ、伊都能売之大神様には絶対慈悲をもっての救いの力を与えられたということになっております。」
昭和11年1月21日


上記の御論文は戦前のもので、時代背景から当時の国策に配慮した表現になっていますが、天照皇大神様の位の高さは十分にわかります。
一方、明主様の位、御働きは菩薩→如来→日月地(みろく)→メシヤと、年と共に高まっていきました。


「天照皇大神は太陽神で、位は上だがお働きは限られる。伊都能売大神は火と水で、仏界では観音様になる。これに土のお働きが加わって弥勒になるのです。天照皇大神は一つの力であり、伊都能売大神は二つ、弥勒大神は三つの御力となり、これが三位一体で完全になる。」

--弥勒大神は土の御力すなわち肉体をお持ちになって御出現と存じますが--

「ええそう、そうです。」
御講話 昭和23年5月18日


「それで私がやっている仕事はイザナギの尊の仕事です。--中略--そうすると、天照大御神と言うと世の中では大変な最高の神様のように思ってますが、然し天照大御神はイザナギ、イザナミの尊の子供になるのです。それは神代史にもあります。天照大御神はイザナギの尊の娘さんになる。ですから分かり易く言えば私の子になる訳です。そこで天照大御神様は本当に人を救うという力はないのです。」
御講話 昭和27年11月15日



 天照大御神様と6月15日


昭和6年6月15日
「今度いよいよ光明世界になるのは、天照皇大神が出現になられる岩戸開きがあるのであります。昭和六年六月十五日、私が房州日本寺に天照皇大御神を御迎いに大勢の信者さんを御供にして参詣に行ったのであります。この時大神様が霊界へ御出現なられたのであります。--中略--
昭和9年6月15日
「昭和九年六月十五日
(立教前年)に私は御神命により、麹町の山王様即ち日枝神社へ三十何人の御供を連れて御参拝しまして、天照大神様を御鎮祭、一同で祝詞を奏上致しました。これは日枝神社へ天照皇大神様が御鎮りになられたのでありますが、霊的の事でありますから神官すら知らん事であります。」
観音講座六 昭和10年9月5日


昭和16年
「昭和十六年五月、渋井氏以下数人の信徒を伴につれ、丹波の元伊勢神宮へ参拝に行ったのである。この事について興味ある一挿話をかいてみるが、今日の伊勢山田の皇大神宮は、今から約千百年以前、この丹波の元伊勢から遷宮されたという事になっている。それについてこういう説がある。遷宮の際御神霊を御輿に乗せ奉り、一里離れた所に和知川の下流で五十鈴川があり、その川を渡御せんとした際、急に御輿が重くなり、どうしても渡り得なかったので引返したというのであるから、伊勢の山田には御神霊は移らなかった訳である。それを今日実証した一つの出来事があった。それはこの参拝から一ケ月余経た七月一日私は中島氏以下数人を従え、伊勢山田の皇大神宮へ参拝に行った。社前に額いて祝詞を奏上するや、社の中から神の声が聞こえた。それは「デハ私はこれから故郷へ帰らしていただきますから、後は宜しく御願申します」という言葉である。すると私の傍にまた別の声がした。「永い間御苦労であった」との御言葉で私はハッと思った、というのは、いよいよ、天照大御神と御留守居の神との交替である。いうまでもなく私は先日元伊勢へ参拝に行ったのは大神をお迎えしたので、今日の行事のためであった。お留守居の神とはもちろん、神素盞嗚尊(かむすさのをのみこと)で朝鮮へお帰りになったのである。その時私が思われた事は、いよいよ日本の霊界が明るくなり、正邪善悪の是正が行われる時が来たのである。」
昭和24年12月30日


昭和25年6月15日
「昭和六年六月十五日に房州の日本寺が始まりですが、あの時は霊界の奥の方、最奥霊界が黎明になったのです。今度は現界の霊界に日が出たのが一昨々年の私が庵原警察の留置所の中で、日が出たと言えばおかしいですが、非常に神秘があったのです。日が出るということは、やはり天照大御神様です。--中略--そうしてあの時の手力男命はMという弁護士です。あれが私を引っ張り出したのです。その時初めて天照大御神様の霊が私の腹に宿るということになります。それが今、だんだん大きくなりつつあります。もうよほど大きくなっています。」
御講話 昭和28年6月16日


「それから六月十五日というのは天照大御神様の誕生日になりますが、誕生日ということは日が出るわけです。--中略--それから一昨々年の静岡の裁判で、警察に留置されている間にすばらしい神秘なことがありました、そのことを簡単にお話しますと、--中略--数えてみれば六月十五日になります。その日は非常な神秘なことがあったのです。それは天照大御神様が生まれるというわけです。」
御講話 昭和28年6月15日


「静岡事件の際留置場の中で、すこぶる神秘な神業が行われた事はいつか話した事があるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○の神様であって、--中略--その時から後の私は、以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在(おわ)す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままをやればいい事になったのである。」
昭和29年2月25日


昭和26年6月15日
箱根日光殿増築落成祝賀式
「六月十五日は今年初めてお祭りした。神様のほうでは今日お祝をしなければならぬわけがあるのである。本に書いた通り、昭和六年六月十五日、初めて昼間の世界になった最初の日である。--中略--日本寺に天照大神様が御誕生になった意味になる。あそこは鋸山と言うが、寺へ行ってみると、乾坤(けんこん)山日本寺と書いてある。乾坤とは天地のことで、非常に大きい意味がある。それが二十年前の今月今日である。十年前の六月二十九日は、民間治療をやっていたのが、十五年十一月いっぱいでやめ、翌年五月(S16.5.23)、五六七(みろく)会の連中を連れて元伊勢へお詣りした。その後七月一日に伊勢大神宮へ中島一行を連れて行った。六月二十九日をはさんで天照大神様に関係した仕事をしたわけである。今年の六月二十九日は二十年目である。これで神幽現の三段になっている。すなわち三界とか三千世界と言うのはこれである。幽とは仏界であり、幽冥界とも言われる。そんなわけで、今年から現界の昼間になる。今日がその第一歩である。現界が昼間になると種々なことがたいへんに変わる。」
昭和26年6月15日 箱根日光殿増築祝賀式御講話
※六月二十九日は六月十五日の誤植?


昭和27年6月15日
「箱根美術館」完成

昭和28年6月15日
箱根「神仙郷」完成


昭和29年
「ずいぶん若くなったでしょ、私の方は、メシヤ降誕って言ってね、メシヤが生れたわけで、ですから、言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるっていうんじゃないですね。新しく生れるわけですね。--中略--それで、このメシヤっていうのは、世界中で最高の位なんですよ。まあ西洋では「王の王」って言う事になっちゃいますがね。「キング・オブ・キングス」って言ってね、その位を持っているんでね。だから、私が出て初めて人類は救われるんだからね。まぁ大変な事件なんです。」
昭和29年6月5日 碧雲荘に主な幹部を集めて


そしてこの御面会の10日後の


昭和29年6月15日

メシヤ御降誕仮祝典挙行さる 「栄光」263号より抜粋

六月十五日、ここでメシヤ御降誕の仮祝典が挙行されたのである。この日は前日の豪雨もやみ、雲間に陽光てりはえて、鳥の声もほがらかに、展望する海上も波穏やかに、鴎の戯るるあたりところどころに漁船静かにゆれて、自然にも心あって、今日の吉祥を祝うかに見受けられた。
 前夜来続々とつめかけた信者諸君、折からの農繁期にもかかわらず、北は北海道より南は九州、四国……全国各地を網羅、その数一万数千。さしもに広大なる本殿も、文字通り立錐の余地を残さぬ盛況である。
 午前九時半「明主様御着きになりました」と、三尋木係員の声がマイクを通して場内に流れる。信徒一同姿勢を正し、粛然として低く頭をたれる。やがて管長壇上に現われ、マイクの前にたって「我等信徒は今迄教祖様を明主様と申し上げていましたが、今日ただ今よりメシヤ様と申し上げるよう御許しを得ましたから、さよう心得られたい」と宣言される。
 十時拡声機が「ただ今メシヤ様御出御になります」と告げ、一同最敬礼して御迎え申しあげる。メシヤ様には、呱々の声をあげられたばかりとあって、白羽ぶたえの御衣をめされて、大草管長と阿部執事が御介添申し上げて御座所におつけ申し上げる。御座所の右後には奥方様、叔母上様、藤枝様等が控えておられる。
 木原理事長恭しく進み出で御祝いの言葉を言上し、更に天津祝詞を奏して一同これに和す、神韻縹渺(ひょうびょう)、こうごうしき限りである。
祝詞をうけさせ給いて、メシヤ様には一同最敬礼のうちに御退席遊ばされた。暫くして管長がマイクの前にたって大要次の如き要旨の話をされたのである。
 『従来は明主様と申し上げていましたが、今日ただ今よりメシヤ様と申し上げることになりました。即ち今日は、メシヤの御降誕として、わが教団にとって誠に意義深き日であります。なお本日は、わが教団においては天照皇大神の御降誕日とされております。重ね重ね御目出たき吉日と思うのであります。……云々』
昭和29年6月30日発行


また御先達の記述によりますと、上記昭和29年6月15日の救世(メシヤ)会館における「メシヤ御降誕仮祝典」の日より約2ヵ月間、明主様をメシヤ様と申し上げる事になると共に、同祝典では白羽ぶたえの御衣をめされたメシヤ様に向かい奉って、参拝者一同で天津祝詞を奏上。
御神号は『天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)守り給へ幸倍賜へ』と奉称申し上げたそうです。


そして熱海より世界に向けて「メシヤ」を宣言されたメシヤ様は、この日の夕刻箱根へと御遷座(せんざ)遊ばされ、メシヤであられた期間の御神業は神山の麓、箱根神仙郷、観山亭にて御遂行遊ばされました。

何故この日、メシヤ様に天津祝詞を奏上申し上げた際、「天照皇大神」と奉称申し上げたのかは、小生ごときが分かるはずもありませんが、メシヤ様の光の玉と、天照皇大神様とは重大関係があるようです。そして箱根と神山とも密接な関係があるような。。。

 でも、ホントに大切なのは私たちが日頃より奉称申し上げている「みろくおおみかみ」様とは。。。この学びと信者としての自覚なのかなと思います。。。けども。。。



inserted by FC2 system