水交社


東京タワーの足元の、この平べったい建物の辺りに「水交社」がありました。
「水交社」とは旧日本海軍エリート専用の福利厚生施設で、宴会、宿泊施設、喫茶、機関紙発行など、親睦と研究などを目的とする団体でした。
また物品管理もしていた関係上、戦時中の物不足日本においてココだけは何でも揃っていたそうです。軍関係の信者さんから物資を分けてもらった事もあったそうで、これも当時の厳しい現実です。



「坂井、志保沢つれ、野々山大佐の案内にて水交社、航空本部の首脳部大西中将、岩本中将ら数人に面接会談す」
                                             
昭和18年5月15日 日記


「水交社にて夕食後大西中将をはじめ各首脳部連と歓談」
                         
昭和18年8月22日 日記


療術禁止の監視下の時代であっても、政界、財界、軍部にも明主様を信奉する者があり、その関係から大変多くの識者と御面会なされているようです。日記の大西(瀧治郎)中将とは、海軍参謀の中でも進歩的な考えの方で、常に大艦巨砲主義の軍部と戦った人物であり、また一方で真偽の程は別にして「特攻隊の生みの親」と言われている人物でもあります。そして終戦の翌日に、特攻隊員と遺族への謝辞、残った者への希望を遺書に残し自刃して果てたそうです。
 明主様を水交社へ御招待された足立氏(小将)は、大西中将との初面会の時を振り返り、
「--その時の大先生の毅然たる態度に頭が下がった」と記しています。また足立氏は、大西中将から運動費をもらって病気のパイロットへの浄霊活動をされたり、その他軍関係の各信者さんもそれぞれの立場を生かして陸・海軍部内での活動をおこなっていたそうです。
こんな時代こんな環境でも、皆様やれる事を、精一杯やられていたんだなぁ。。。
と、吾身を恥つつ。。。立ち去ろうとしたところ。。。むむ?



むむむっ・・・?こっ、このマークは!!!
実は水交社跡に建つこの建物、「フリーメイソン」の日本本部、グランドロッジでした。。。中で秘密の儀式が行われています。。。
フリーメイソンとはご存知のように世界最大・最古の秘密結社にして、御論文の通りの石屋組合の。。。 。。。何か恐いから逃げよ〜っ!
でも「フリーメイソン」「ユダヤ」「パリサイ人」「エルサレム」「ガガール(カザール?)」御論文にも度々登場する名だけに、知識としては頭の片隅に置いて、御論文や世界情勢を見てみるのも、時にはアリかも。。。なぁ?。。。


しか〜し「陰謀論」やら「都市伝説」やらに懲り過ぎては本末転倒!ロクな事はありません!これまたパリサイ記者の陰謀だったりして。。。?
いえ真理は我々の御教えの中にあり、パリサイ人が編纂、解説した「タルムード」の中には無いというだけの事です!


「橋場で生まれまして、それから転々として西へ西へと、こうして来たのです--中略--今度はどこかと言うと、九州です。まだ時期が来ませんが、いずれ九州に地上天国ができるのです。その次が支那にできるのです。それからエルサレムです。あそこでおしまいです。ですから西へ西へと行くわけです。エルサレムに地上天国ができた時が、世界の地上天国の初めになるのです。それからが世界が統一されるのです。」
昭和27年10月18日 関西御巡教


エルサレムに地上天国、そして世界統一かぁ。。。その前に乗り越えるべき大浄化を考えると、やっぱ気になる事がイッパイあるなぁ。。。


※明主様の仰る「世界統一」「世界国家」とは、資本論の言う「世界政府」やグローバル資本主義による「国境なき政治経済」とは真反対にあると言う事は、御論文を拝読すれば一目瞭然ですが、こんな時期ですのでいちおう追記したくなって。。。
そして前者(共産主義)≒後者(資本主義)と思えてならないのは、あくまで昨今のかつお式であります。H23.12晦日



愛知 M6A1 晴嵐(せいらん)


どー考えても「みあとしのび」じゃないですが(笑)、まあ水交社つながりつー事で。。。これは昭和18年に愛知航空機鰍ェ開発した日本海軍の水上攻撃機「晴嵐」!(のおもちゃです。)この機体のフロート(浮き?)と、陸上用の「晴嵐改」の脚(きゃく)の設計をされた4人の技術者が、御先達だったそうです。この御先達も会社内で活発な活動をされて、係長以下全員、会社内で合計73名がお守りを拝受されていたそうです。お光を頂いていても戦争に関係せざる終えない時代にあって私達の御先達はすごい!
また奇遇なのは「晴嵐」のテストパイロットは後の某教会長と言うか、教団の幹部となられた方だったそうです。
それでは、このお光号のような「晴嵐」の運命やいかに。。。


実はこの飛行機は、当時世界最大の潜水艦、伊400型の艦載機として開発された世界にも他に例のない特殊な機体でした。狭い潜水艦内に格納する為、主翼、尾翼他全てが折りたたみ式、フロートは組み立て式で甲板下に別格納させ、艦内に3機を搭載可能とする画期的な設計でした。また暖めた潤滑油を注入できる構造と、油圧式折りたたみ翼、そして丈夫で簡単に装着できる特殊設計のフロートによって、4名の作業員でカタパルト射出までわずか3分だったそうです。(15分で3機射出し再び海中に潜航)
また水上攻撃機としての性能も当時の世界トップクラスのものでした。


無寄航で世界一周半の航続距離を持つ世界最大の潜水空母と、搭載機「晴嵐」の当初目的は、隠密裏に太平洋を横断して南米まで進出し、パナマ運河を攻撃封鎖してアメリカ艦隊の太平洋進入を困難にする作戦だったそうです。しかし完成の頃には敗色濃厚となっていて、作戦はウルシー環礁近くの空母攻撃に変更されました。
昭和20年7月、各港から出航した4隻の伊号潜水艦は、はるばると西太平洋上ウルシー近海までやって来て作戦行動中に8月15日終戦を迎えました。攻撃予定期日は17日だったそうです。
 かくして日本の技術力の結晶とも言えるこの潜水艦も晴嵐も、ただ一度の実戦経験もなく終わりました。また陸上用の「晴嵐改」も練習機として使用され、兵器とはなりませんでした。やっぱねー!誰一人死なず殺さずで良かった〜。


そして航空技術史の中でも特異な存在である晴嵐は、現在もアメリカのスミソニアン(国立航空宇宙博物館・別館)に、完全な形で保存されています。めでたしめでたし!
スミソニアン博物館HP より

ただチョッと残念、いや心配な事は、この「潜水艦による敵地攻撃」という発想と、水密格納筒などの技術は、現在の弾道ミサイル搭載型原潜SSBNの原点となったと言われている事です。そしてこの技術と核を保有する各国では、『その日』に備えて核の届かない世界中のどこかの海深くに、常時一隻以上のSSBNを展開させて、正に今も!報復攻撃の準備がなされています。


報復の恐怖という野蛮で微妙なバランスの上に小さな地球が載せられて、誰かがチョンと押したら、第三次世界大戦か、人類存亡の危機となるバランスの中に我々は住んでおります。火の洗礼は水の中からやって来るのかもしれません。。。チトあおり過ぎですね。
しかし明主様は常に世界情勢を研究、達観されながら、時局の戦争についても時に宗教家?らしからぬほど詳細且つ大胆に御教示下さっておりますが、教団となると戦争、紛争、弾圧話はタブーなのかなぁ。。。
それでも世界を救おう!

海中の潜水艦より発射されるトライデントU
(弾頭の核出力475kt、広島=約16kt)



『 世界ノ興廃コノ一戦ニ在リ、各員(火の洗霊に)一層奮励努力セヨ! 』 おわり!  (゚-゚;)ゞ


↑御浄霊で世界を救いましょう。と言いたかっただけでした。 m(__)m


     

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