川崎大師


金剛山金乗院平間寺(川崎大師)は、今から約880年前に開かれた関東の名刹、厄除け・第一霊場として大変有名なお寺です。ご本尊は「弘法大師(空海)」様であります。
明主様がここを訪れられたのは丁度玉川郷へ移転されて「大日本観音会」総本部とされた頃の事です。しかしここを訪れられた目的は、もちろん厄除けの御参拝ではなっかたようです。



「も一つおもしろいのは、西国三十三ヵ所の観音様のお開帳がある。これはいままでに昔もなかったことでしょう。初めてです。去年国民新聞社でやると話したんですが、それがこれになった。やはり経費の関係などのためと思うのですが、電車会社が援助してやることになった。--中略--観音様は奈良の東福寺、京都の清水寺、近江の三井寺など、いろんな西京の有名な観音様が来られてお開帳され、やはり十月十日から始まる。ちょうど絵図でみると、今度の玉川郷を起点として拡がっているようです。
これも玉川郷ができるについて仕組まれたもので、これが一日で全部巡れる。たいへん割引され一日で一円二十銭で行ける。
そういうわけでこれができたんで、十月十日から十一月十一日までで三十三日間、これはたいへん意味があり、ぜひ観音会でもできるだけ多く団体参拝として行きたいと思うので、十一月五日に行くことになった。割引期間は九日までで、八日までになるべく今晩までに決めていただくといいと思います。」
御講話 昭和10年10月6日


昭和10年10月6日 読売新聞(広告)   国立国会図書館 蔵


去年企画された東京出開帳がダメになって、丁度「大日本観音会」総本部発会式の日、昭和10年10月10日〜初めての秋季大祭の11月11日まで開催されるなんて。。。しかもそれが33日間!観音様が変現化身されるのが三十三相であってみれば、こりゃ確かに深い意味がありそうですよねぇ。。。


「これで三十三日間になります。そして、初日と終日が玉川郷で大祭することになった。これは深い意味があり、今度三十三カ所の観音様が来られた。これはこちらへお祝いに来られたということになり、いよいよ本当の観音様の活動が始まるについて、はるばるお祝いに来られたのです。--中略--いつかもお話した通り、玉川郷は西と東の間になっている。いままで東京本部は東の経綸をしていた、ところが、玉川郷は西と東のほうですから、今度は西の経綸が始まる。それで、今度三十三体のお観音様がお帰りになると、大いにあちらでお働きになる。いままではさらに西のほうは開けなかった。発展がなかった。それで、今度十二、十三日過ぎると西のほうへ芽が出てくるんだそうであります。--中略--将来西の経綸の初めになる。そのつもりでできるだけお出でになったほうがよいと思う。朝の八時からですから、お腹がすきますから、二食の人でも弁当持って来られるがいいと思う。」
御講話 昭和10年11月1日


この様な明主様の呼びかけに答えて、当日は80名以上の方が参加されたようです。そして東京で明主様ご一行にお会いになられた観音様ご一行は、関西へお帰りになって西の経綸の初めをされ。5年後の第二次玉川事件以降は、お取次ぎの許された高弟や疎開先での信者さんの布教などによって、全国へと発展して行きました。
 そう言えば関西布教で有名な川上吉子先生の入信のきっかけとなった東京日日新聞大宅氏の取材は、この13日後の11月24日頃でしたね。。。
早速これも、「--将来西の経綸の初めになる。」のお言葉通りです!


それにしてもたった1日で出来るスピード西国三十三観音巡礼とは凄い企画です。巡礼と言えば辛く・厳しいイメージがありますが、この時は、ここ川崎大師をはじめとする京浜地区の諸寺を電車で行楽がてらに周って巡礼するんですから天国的!
川崎大師の場合は参道が浅草寺仲見世のようになっていて、たくさんのお店が並んで結構楽しめました。当時はも〜っと活気があったんだろうなぁ。。。
ただ残念なのは川崎大師の伽藍もすべて戦災焼失、後の再建でした。。。



     

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