新婚旅行


環翠楼(かんすいろう)
大正8年12月、日比谷大神宮にてめでたく挙式なされた明主様ご夫妻は、翌朝箱根の塔ノ沢に向けて新婚旅行へ出られました。その時にご宿泊されたのが早川の渓谷沿いに建つ「環翠楼」です。(国道1号線)
 慶長19年(1614)「元湯」としてはじまり、明治には伊藤博文、西園寺公望などの政界人、島崎藤村などの文人の他、篤姫と(皇女)和宮、李鴻章、東郷平八郎、孫文、等々歴史上の人物も訪れた由緒ある旅館です。ちなみに環翠楼の名付け親も上記伊藤翁だそうです。
建物は国の有形登録文化財に指定されています。


現在の建物は大正8年〜13年建築のものですので、ご夫妻はちょ〜ど改築直後のピッカピカの環翠楼にお泊りになったんでしょうねぇ!
 アレッ?!確かこの頃差し押さえを受けて、以後22年間の借金返済生活に突入したばっかだったんじゃないかな?
こりゃよっぽどの御覚悟で新婚旅行に出られたのでしょうね。。。実業家としての意地と自信も感じられます!それにしても張り込まれましたぁ。。。!



明主様は東京「はしば」の「すみだ」河畔で生を受けられ、以来西へ西へと移動されておりますが、昭和19年玉川の宝山荘から箱根の強羅へ移動された時も、やはり西へと移動されました。これはいわゆる疎開という事ではなく神業上の深い意味があったようです。事実移転先に選ばれた箱根と熱海には後に地上天国の雛形を建設されております。
 箱根、熱海については、明主様が若い頃から心引かれるものがあり何度も訪れておられますが、記録に残るものとしては昭和16、17年と続けて2度旅された事が上げられます。御神業の拠り所となる土地を探す目的もあったかもしれません。この頃頻繁に行かれたご旅行には色々な意味が含まれているようです。


昭和16年ご旅行


10月22日、明主様は二代様他4名を伴ってまず熱海におもむき、「大野屋」にて昼食後、箱根へと向い「富士屋ホテル」にてご1泊、翌日江ノ島経由で宝山荘へ戻られたそうです。


熱海なる大野屋の宿四階のおばしまに太平洋を久に眺めぬ
おばしま=らんかん、てすり


大野屋
昭和12年に「瑞雲荘大野屋」として創業。当時は近代的和風建築の画期的旅館として有名でした。青緑瓦の屋根をもつ建物は、熱海の名物ともなっていました。
その後、建物の林立や埋め立てなどがあり、少し海から引っ込んだ形になりましたが、現在はこの様なビルになって、おそらく上層階からの眺望はすばらしいことでしょう。
なぜか4階から「はばしま」がついています。。。
富士屋ホテル
明治11年(1878)に開業した、箱根宮ノ下にある老舗中の老舗ホテルです。明主様も度々ご利用になっておりますが、他にチャプリンやヘレンケラー、ジョン・レノンなども宿泊しています。国の有形登録文化財に指定されています。館内の装飾は圧巻です!
写真はご宿泊された?であろう「花御殿」。 



昭和17年ご旅行


昭和17年7月14日、まず熱海に立寄られ、そこから伊豆半島を周遊、修善寺の新井旅館にてご1泊、翌日沼津から御殿場へ抜け、乙女峠を経て強羅へと向い、強羅ホテルで昼食後、横浜経由で宝山荘へ戻られました。


新井旅館
明治5年創業の超老舗旅館です。ここの建物や天平大浴堂などは現在、国の有形登録文化財に指定されています。河原の丸い巨石がふんだんに使われていたり、中庭が全て池になっていたりと趣きのある個性的な宿だそうです。横山大観、川合玉堂、芥川龍之介、川端康成、島崎藤村・・・数え上げたらきりが無いほど多くの文人墨客が滞在した宿としても有名です。
しかし平成16年の台風22号により隣接する修善寺川が氾濫して大きな被害を被り、存亡の危機にあった時期もありましたが、現在は復活して営業を続けています。
写真はロビーと渡り廊下。
強羅ホテル
箱根登山鉄道「強羅駅」前に1998年までありました。現在は「雪月花」と言う温泉ホテルに変わっています。
米国ノースウェスタン大学教授ブレーデン博士との御対談(S27.6.15)や、箱根美術館開館祝賀会(S27.6.30)などでもご利用になっています。
また昭和17年当時のホテルオーナーは宝山荘のお隣さま五島慶太氏でした。
写真右の山は早雲山。



     


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