浅草山谷町・千束町


浅草山谷町
都バス清川2丁目停留所付近より撮影。およそこの辺りが旧山谷町で7歳〜9歳までお住まいでした。
この交差点を右へ(西へ)道なりにドンツキまで行けば御生誕地!左へ行けば吉原大門 !!まっすぐ行けば泪橋だジョ〜!!!
この辺りは簡易旅館が多く労働者の方が目に付きます。
昼間からお酒の匂いがすることも、しばしばですが、治安も良く街も清潔です。
旧千束町
浅草寺横、ひさご通りをぬけたあたりが旧千束町で、9歳〜17歳までお住まいでした。
この8年の間には名門校浅草尋常高等小学校への転校(もち超優秀)。念願の東京美術学校への入学。そして悪性眼病による挫折。
と、希望から絶望への暗い青年時代をお送りになりました。


「そして15、6歳の折小学校を終ると美術学校の予備校に入りました。が、あくまで私は不運に生れたものでしょう。間もなく目が悪くなりました。その眼疾は非常にたちのわるいもので、折角少年の心を燃やした絵の道もそれがために止めなくてはならなくなりました、その時の私の心は只々、くらい・・・くらい谷底に足に綱をつけて逆さまに、ずんずんと吊りおとされるような気がしました。失望・・・失望・・・! 大きい失望だったのです。救いのない失望でした。」
昭和5年11月5日


そんな中でも生きる喜びを見出されていました。

「私が1番先に映画(その時代は活動写真といった)を見たのは15,6歳の頃であった。その時は浅草公園六区に電気館という館があって、これが映画館としては東京での最初のものであろう。何しろ写真が動くんだから驚いたのはもちろんで、波が動いたり、犬が駆出したり、町を人が歩いたりするのには、ただ唖然とするばかりだった。何と不思議な面白いものが出来たわいと思って、その頃浅草に住んでいたから、暇さえあれば見に行ったものである。」
昭和27年

現在の電気館 



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