明治44年(1911) 向島より待乳山を望む


隅田川 花の霞はあともなく 岐美(きみ)を待乳の山望むかな
                                昭和3年6月30日


御生誕地から7、800m下流の今戸橋付近を対岸から撮影しています。江戸〜明治の隅田河畔はこの様に風流な場所でした。特にこの辺りから橋場にかけての川岸には、有名な料理屋や、お金持ちの別邸などが並んでいたそうです。
現在中央の橋と運河は暗渠になっています。左側の丘が待乳山(まつちやま)で、その上に聖天さま(日本三大聖天)があり、眺望の良い場所とし錦絵や「江戸名所図会」などでも紹介されています。


 国立国会図書館H.P.より転載
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ここが待乳山本龍院(聖天さま)です。聖天(大聖歓喜天)とは観音様のお陰で善神となられたインドの神様で、そのお姿の為か通常秘仏となります。こちらでも秘仏となっており、表には本地仏である十一面観音菩薩様が祀られています。
待乳山は御生誕地と浅草寺の中間に位置していますが、ここにも金龍伝説があって、浅草寺の観音様出現より早い推古天皇3年(595)9月20日、一夜にしてこの場所が隆起して丘となり、金龍が舞い降りてこの山を守護なされ、浅草寺観音様出現の先端となったという事です。故に浅草寺の子院ともなっています。


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