明治35年(1902) 大森八景園


 国立国会図書館H.P.より転載
※当画像及び上記H.P.画像の複製には、国立国会図書館の許諾が必要です。


八景園は明治17年(1884)に開園した郊外随一の遊園地でした。鉄道唱歌では「梅に名を得し、大森を〜」と八景園を梅の名所として歌っています。
また、明治35年発行の「仁山智水帳」での八景園の記述では。。。

「東海鉄道大森停車場の西隣に小丘あり、丘上亭を設け梅花を植うること数百株、往時此地は街道に當(あ)りて八景坂の名ありし故に八景園と稱(しょう)す、遥に房総の山を畑波の間に望み大森附近の田野を書画に収め得べし」

と紹介しています。
八景園は神秘の花、梅の名所であり、そこから東京湾を眺めれば、遥かに房総の山々の中にあの鋸山もみとめられたのかもしれませんね。
その後八景園が閉園すると、大正11年から住宅地として区画分譲が行われて、翌12年明主様は大鋸町(八重洲周辺)より移り住まわれ、その屋敷を「松風荘」と称されました。



梅林の 名残(なごり)のあとはあらなくも 閑雅(かんが)の家の立並むるよさ
                                        昭和8年 山と水


                                     閑雅=静かで趣深い



inserted by FC2 system