八ッ山橋


海風は 頬(ほう)につめたく橋にかかる 人いそぐなり汽笛きこゆる
                       昭和8年「松風」2巻1号 新東京を詠む(八ッ山橋)



海風は 頬(ほう)に冷く橋にかかる 人いそぐなり汽笛の中を
                              昭和24年「山と水」



御歌の中の橋とは、ここ品川にある「八ッ山橋」の事です。
で、この橋のロケーションについては、勝手ながら小生の好きな古い映画の冒頭ナレーションからご紹介する事にしましょう。。。(-_-;)


東海道線の下りの列車が品川駅を出るとすぐ八ッ山の陸橋の下を通過する。
この陸橋の上を通っているのが、京浜工業地帯を縦走する最大の自動車道路(当時)、京浜国道である。<幕末太陽傳より>



えっ?!よくわからん? では、
下の画像をClick!


この様に当時の京浜国道八ッ山橋は建築史にも残る有名な橋でした。しかし残念な事に昭和60年(1985)に新しく架け替えられてしまいました。(寂)



でもこのモダンな欄干は転用されていて、当時を偲ばせてくれます。 ↑ (喜)




しかし現在、道路は第一京浜となって「新八ッ山橋」へ迂回、橋の交通量は減った上こんな状態に。。。
御歌とはまた別の悲哀を感じてしまいます。。。(涙)



海風は ビル風となり海遠く 八ッ山橋は遺跡のごとし
みたいな。。。お粗末!




旧東海道(品川宿)


海ぞひの 旧街道は人通り 少なく大方家は古びし
            昭和8年「松風」2巻1号 新東京を詠む(鮫洲)



海ぞいの 旧街道は人通り まばらなりける家並古にし
                         昭和24年「山と水」





海沿いの旧街道とは旧東海道の事で、御歌は旧品川宿の辺りをお詠みになっております。
で、そのロケーションは、またさっきの続きから。。。


京浜国道にやや平行して横たわるせせこましい街、これが東海道五十三次第一番目の親宿、品川宿の現在の姿。<幕末太陽傳より>
実は「八ッ山橋」は旧東海道の橋として架けられた橋でした。ですから橋のすぐ先が旧東海道、旧品川宿となっています。
現在は北品川商店街という細長〜い商店街になっていますが、やはり「人通りまばらなりける」です。
旧街道の東側の路地は一様に下り坂になっており、下りきった所から海でした。
この商店街が明主様の訪れた海沿いの旧街道で、弥次さん喜多さんの東海道です!



この街道沿い、青物横丁駅近くの品川寺での御歌もありますので、次はそちらへ行ってみましょう!



品川寺(ほんせんじ)


首折れし 石仏あはれ遠き丘 赤松林夕空をいろどる
                昭和8年「松風」2巻1号 新東京を詠む(品川大仏)



首おれし 石仏あわれ遠き丘 赤松林の夕空いろどる
                        昭和24年「山と水



現在の品川寺は綺麗に整備されており、すでに首の折れた石仏は見当たりません。そして木々の生長とビルの高層化で赤松林の丘もここから望むことはできません。偲びきれない、新新東京の姿でした。
 御歌にある「遠き丘」とは麹町から続く武蔵野台地の東端ラインで、大森松風荘の高台へと続き、多摩川沿いに屈曲して宝山荘の高台へと続きます。その川の向こうは多摩丘陵となって外国の型、西と東の間、の地形的な様相を形成しております。
とか、何とか言っても偲びきれないので。。。


名所江戸百景 「品川御殿やま」 歌川(安藤)広重

こんなイメージかなぁ。。。
「名所江戸百景」は江戸の名所や、なにげない日常を描いたシリーズで後に明主様も入手されてますが、御歌を詠まれた場所や、御歌のイメージの中に「名所江戸百景」がダブル時が結構あるんですよ。個人的感想ですけど。
また東京の御足跡をたどると、しょっちゅう「名所江戸百景」に突き当たります。その内「はみだし」てみる。。。かもしれません。。。???


再びお寺に戻りますとぉ、、、ご本尊は江戸城を築城した太田道灌も信仰した「水月観音」様で、品川観音として大変信仰を集めていたそうです。
なんか嬉しい!実は区内最古のお寺だそうです。
しっかりご挨拶して参りました!


何故か法隆寺の救世観音様そっくりの、銅製の観音様がいらっしゃいましたが。。。
光背が無いなぁ。。。


そして観音様の近くにいらっしゃるべき大仏様は、お寺入り口の街道沿いに在りました。宝永5年(1708)建立の江戸六地蔵第一番である品川大仏様です!
親しみのある、いいお顔だなぁ。。。きっと街道を旅する沢山の人達が旅の安全を祈願した事でしょう。明主様はどの様な感想をもらされたんだろう。。。?
寺の向いには釜屋と言う、土方歳三他新撰組が常宿とした旅籠(はたご)跡があります。鳥羽伏見の敗戦の時もここへ帰着したそうです。
この細長〜い旧品川宿は、みあとしのびには物足りませんが、他には結構見所もあるようです。


品川区南品川3-5-17


大はみだしへGO



     


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