公明選挙を嗤(わら)う


御講話 昭和28年4月5日

「今選挙戦がさかんで、しきりに公明選挙ということを言われてます。この公明選挙と言ったところで、神様が在るということを知らなかったら、なんにもならないのです。この前の公明選挙の時も、以前よりかえって悪かったのです。そこでそのことを書いてみたのです。ことによると日日新聞に出すかもしれません。まじめに書いても興味を引かないから、ちょっとおもしろく、興味本位に書いてあります。それを読ませます。」

御論文「公明選挙を嗤う」拝読


御講話 昭和28年4月7日

「それから今言われている公明選挙ということについて書きましたが、これは東京日日新聞に今日から二回か三回にわたって出ます。ちょっとおもしろい書き方です。」


東京日日新聞(2面) 昭和28年4月7日

公明選挙について(1)
 
世界救世教々主 岡田茂吉

  
ズル族が多すぎる

※漢字の用法等全て新聞のままです。


国立国会図書館 所蔵
まだ半年経つか経たないうちに、又々総選挙ときては、国民もやりきれたもんじゃない。たった半年の間に、政府は、国民の信任が減ったかどうかを試してみるんだから、結局国民は試験台にされる訳だ。この原因は、何んといっても、例の馬鹿野郎問題だろう。仮にも総理大臣たるものが、こんな野卑な言をはくのは怪しからんと、反対党の連中が、鬼の首でも取ったようにワイワイ騒ぎ立てた事と、自由党は自由党で、按摩(あんま)の流儀じゃないが、内輪揉めは、吉田流でも始末がつかないと見え“エー面倒臭え、政権は解散だけのことさ”と脅したが、一向埒(らち)があかないので、とうとう引込みがつかず、解散総選挙となったわけだ。
こんどの総選挙の動機は、馬鹿野郎の一言なんだから、この馬鹿野郎の一言が政府を解散し、国民全部を動かすことになるから、政府を未だかつてない、大した馬鹿野郎と思うのはこの私ばかりではあるまい。
さて、ここで私がいいたいことは所謂公明選挙の看板の事だ。前の選挙のとき、この看板を見たときこれは甚だ結構だ、この看板通り選挙をやって呉れるなら、国全体が少しは良くなるだろうと思ったが、看板のなかった時よりも、更に悪いので全くアキレてしまった。だから今度の選挙でも当(あて)にはならないから、まあただ見物をしているだけだ。こんなことをいうと、不思議に思うかも知れんが、つまり候補者も選挙民も、ズルイ奴が多すぎる。このズル族の根性骨を叩き直さなきゃ駄目だ。いくら新聞やラジオで面白くもない御説教をやっても効果がないし、街中大声で名前を怒鳴ったり、又チンドン屋式の大風呂敷宣伝をやってみたところで、うるさいだけの話で、何んにもなりゃしない。こんな総選挙の方法だから、今いったズル族がばっこすることになる。現ナマ御馳走攻めの魔薬で、善良な選挙民をナマコにする。


※按摩=マッサージ師、主な流派は吉田流、杉山流。
※昭和28年2月28日、時の首相吉田茂は社会党代議士に対して「バカヤロー」と発言、この一言で国会は大もめとなり3月14日に解散(バカヤロー解散)、これに伴う衆議院議員総選挙は昭和28年4月19日に行われた。
この記事はその直前に掲載されたものです。

東京日日新聞(2面) 昭和28年4月8日

公明選挙について(2)
 
世界救世教々主 岡田茂吉

  
食えない代物“運動員”
   お偉方には信心が足りぬ

何故こんなことをするかというとズル族の根性は、麻薬を呑ましても又美味い汁を吸っても、巧くやりさえすれば、誰にも知れずに、済むと思うわけだ。更にあの運動員と称する輩(やから)は酢でも蒟蒻(コンニャク)でも食えない代物なんだからまったく手に負えない。こんな例はまだたくさんあるが、この汚いボロを隠すには、公明選挙の看板も、とんだところで役に立つらしい。つまり肥桶(こえおけ)の蓋(ふた)になる訳だから、全くお臍(へそ)が茶を沸かすといいたい。とにかく今の世の中は、人の目さえゴマ化せば、いいと思う小利口者が多いから、この料簡(りょうけん)にヤキを入れない限り、公明選挙も蜂の頭もない。
さてヤキを入れる急所はどこにあるかというとこの世の中には神様がチャンと御座るという事だ。このことを肚の底に叩きこんでやると、たとえ人間の目はゴマ化せても、神様の目は御見通しだからゴマ化せないという事が、ハッキリ分るので、そこで始めて文字通り公明選挙となる。こんな解りきった事さえ理解出来ないお偉方が、上に立って威張っているんだから“可哀想なのは正直末法の善人達”という次第で、昔から上の好むところ、下之(これ)に習うという言葉通り上も下もろくでもない人間共が、ウヨウヨしているこの娑婆だから、上は贈収賄、買収、ペテン、汚職等々、下は強盗、殺人、窃盗、詐欺、横領、空巣、掏摸(スリ)、万引など数え切れない程毎日の新聞を賑やかにしている。しかもこれが氷山の一角なんだから唖然としてしまう。これももとはといえば無神、迷信の為なんだから之に気が付かない限り、公明選挙も口先だけの御題目になる。
最後に一ついいたい事がある。アイゼンハウワー、トルーマン、マッカーサーなどの講演にしても、必ず神という言葉が入っている。ついこの前、アイゼンハウワー大統領就任式の際、大統領が聖書の上に左手を載せて誓った光景を見た時、何ともいえない感に打たれた。アメリカの繁栄と、平和維持のための、烈々たる気魄(きはく)はここから出たものに違いない。とすれば少くとも、この人達は、神のあることを認めているわけだ。之に比べ日本の御歴々は、いつの演説でも神の言葉など薬にしたくもいったことがない。日本の政治家連も、神の言葉を口に出すようになれば、始めて公明選挙の実もあがるというものだ。

国立国会図書館 所蔵

※2日連載で完結


※〜も蜂の頭もない=〜もヘチマもない
※薬にしたくも〜ない=全くない

※昭和26年統一地方選挙において、選挙違反による多数の検挙者が出た。翌27年、衆院総選挙を前に「公明選挙運動」という看板で盛り上がり「公明選挙連盟」という大看板も出来た。この昭和28年の御論文によると、結局27年の選挙においても更に上回る検挙者が出たようです。
現在、公明選挙連盟は(財)明るい選挙推進協会と名を変え、看板は架け替えられています。。。
※(財)明るい選挙推進協会=全国約10万人の善良なるボランティアの方々と選挙浄化、投票参加のPR活動等をしている団体です。でも当財団の平成18年度委託金額(外注費)は約7億円で、実業務のほとんどは民間同業者に丸投げです。総務省からの天下りズル族は2名でございます。つまり肥桶の葢(ふた)は今や中身になった訳で、ここでも“可哀想なのは正直末法の善人達”という次第でございます。(怒)
しかもこれが氷山の一角なんだから唖然としてしまう。これももとはといえば無神、迷信の為なんだから之に気が付かない限り、公明選挙も口先だけの御題目になる。


(いちおう追記) 当財団は各市町村にあってその実績も十分評価できると思います。しかし費用対効果、天下りズル族、丸投げのバックマージン等々の問題もあり、選挙管理委員会とボランティアの方々で十分可能な事業内容とも考えられています。(橋下大阪府知事は府の負担金をカットしました。)



ところがこの選挙管理委員会つーのが、ま〜たズル族に占拠されててェ。。。。。。元議員の天下りと高額報酬など(大津地裁判決を受けて大阪府知事は、全国に先駆けて月額報酬の見直しを指示。 しかし。。。)

 んじゃ〜いったい、どうしたらイイの〜!。。。だから唯一の答えが上にあります!

上記は全てかつおの私見です。 <(_ _)>。



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