御法難

「いよいよ1950年、昭和25年の年になった。というだけならいつもの年と変わりはないが、実は今年こそ吾等からいえば大変な年である。という事は吾等の唱導する処の夜の世界が昼の世界に転換する、その節に当たるからである。」
昭和25年 「地上天国」1月号


このお言葉の通り、この年は教団内外において節目となる事件が相次ぐ年となりました。
1月高弟、中島一斎先生の帰幽。2月世界救世(メシヤ)教創立、教祖名称は「明主」となる。4月熱海の大火。そして5月には突然の家宅捜索と、明主様の贈賄容疑での逮捕・勾留。海外で6月朝鮮戦争勃発。12月御論文「浄霊法変る」の発表にて浄霊確立。
色々あった昭和25年、しかしその中でもとりわけ明主様の逮捕という事件は、信者にとって大きな衝撃であり、明主様ご自身にとっては、お命を縮められる程の「頭脳の拷問」苦闘であり、同時に留置場内における、ある重大な神事がおこなわれたその時でした。


「今度の事件で留置されたのは、昭和25年5月29日であったが、間もなく留置所にいるのは18日間という神様からのお知らせがあった。それは数えてみると6月15日までとなる。ところが当日の2、3日前くらいから一大神秘が起った。これもある程度以上は知らせられないから、その中の差支えない部分だけここにかいてみるが、確か6月13日であった。朝から何となく腹が痛いので、そのままにしていたところ、午後になると下腹部一面が猛烈な痛みとなって来た。--中略--そこで私も不思議にたえず、神様のお知らせを仰ぐと、これは大きい御経綸のためで、止むを得ないのだから、少しの間我慢せよとの事なので、どうしようもなかった。と共に「そうだ」翌6月15日はちょうど18日目に当る。しかも、私の著書にもある通り、昼の世界になる黎明の第一歩が、昭和6年6月15日である。としたらこれに関連があるに違いない、つまり腹の中を充分清掃するための準備的浄化、という訳がハッキリ判った。
 しかも、面白い事には、14日の朝素晴らしい神夢を見た。--中略--いよいよ、6月15日となった。すると朝まだき、今日の重大な意義がハッキリして来た。というのは以前かいた著書に、私のお腹の中に光の玉があるという事で、これを読んだ人は知っているだろうが、この光の玉には今まで魂がなかった。ところがいよいよ今日○から○ったある高位の神様の魂が宿られた、すなわち右の御魂が現世に生誕された事になるのである。これからこの神御魂(かむみたま)が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大偉徳を発揮さるるに到るのである。」
昭和25年12月20日

明主様は国警・庵原(いはら)地区署(一部新聞、静岡市庵原地区署)に留置され18日間取調べを受けられました。当時の取調べはたいへん厳しく、虚偽の供述に協力しなければならない程で、明主様は勾留中脳神経衰弱で2度倒れられ、その後は間断のないめまいに悩まされながら取り調べを受けられました。そんな厳しい状況下での神事だったのです。


法難手記を拝見すると、当時の取調べの厳しさ、精神的に追い詰められてゆく様が、正直に、赤裸々に記されており涙が出そうになります。 それでもこの神事のあった場所には行きてー!つー事で探してみました。
この写真は現在の蒲原警察署です。富士川町、由井町等を含む広域の治安を守っております。(平和そ〜な町でした)この場所にかつて国家地方警察・庵原地区警察署はありました。しばし感慨にふけり帰路に付く。。。
前に、ちと地元図書館に寄りたくなり行ってみたら、ガビ〜ン!現在の場所へ国警が移転されたのは昭和27年4月ですと〜〜ぅ!!時間がなかったのでザット調べてみたところ、移転前の警察署は昭和21年〜27年まで本町の郵便局の場所にあったらしい事がわかり、早速行ってみました。




本町(蒲原宿)は東海道五十三次15番目の宿場町として元禄13年より栄え、現在も本陣跡やなまこ壁の家などが個々に残り、江戸の昔がしのばれる町並みです。しかし、しのぶものが違うので早速郵便局へ。。。


現在の蒲原郵便局、ここにかつて警察署があったようです。旧警察法によると、国家地方警察(国警)と自治体(市町村)警察と2つの組織があり、一部新聞では清水市庵原地区署となっており、正しいとすればココじゃ〜ない?またココの警察署が国警に所属したかの裏づけもとれませんでした。よって今回は中間報告という事で、何かわかればつづきを書きたいと思います。スイマセン (^_^;)
優しい取調べで有名な新米おやじデカ、かつおが裏づけ捜査にとんできました!さ〜ていつ帰ってくることやら。。。07.4/12
ひとつの市町村に国警と自治体警察と、2つの組織が並立する事はないことが判明「ココが現場の可能性濃厚」、と先ほどおやじデカから連絡が入りました! (゚-゚;)ゞ 09.7/6
当時、重要事件については国警が自治警に捜査協力をする体制があった事が判明「ココが現場の可能性濃厚」、と先ほどおやじデカから連絡が入りました! (゚-゚;)ゞ 10.8/15

  蒲原の海
「ところがその時から後の私は、以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在(おわ)す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままをやればいい事になったのである。」
昭和29年2月25日
獄中にてただ独り密かにおこなわれたこの神事を経て、光の玉の力はより一層強くなると共に、神と明主様との関係はより直接的なものになりました。
この年の2月に教祖名称を「明主」に変えられたのも、神格向上に合わせた布石であったとも考えられます。そして出所後「散花結実」の書1000組をお書きになり信者に与えられました。
--実を結ぶ為に花は散らなければならない--


        

うちの一畳農園の散花結実。。。ショボいけど!



「翌日「君出なさい」と言う。釈放されると思って外へ出ると見知らぬ警官が、今日は静岡へ行く・・・と言う。身のまわりのものを整え、自動車に乗せられ、喜んだのは逆で、刑務所の表のほうへ着いた。手続をすまして中へ入ると、新しくできたアメリカの監獄のようで、これは長くいても辛くないと思った。一輪の身魂が宿る・・・神様に聞くと、いったん日本の真ん中へ行かなくてはならぬと言われた。刑務所は静岡の真ん中になる。」
御講話 昭和25年8月1日 速記録

※一輪の身魂=一厘の御霊


神事のあった6月15日昼頃、明主様は静岡刑務所へ移され、補足的取調べを受けられました。そして6月19日PM11:00頃、ようやく釈放となりました。
この写真は現在の静岡刑務所正門です。休日の刑務所はその広い敷地全体がひっそりと静まりかえり、なんとなくビビって。。。マスコミを避ける為に、そっと釈放されたという、肝心の裏門を探すの忘れちゃいました。。。ガクッ!
でも予てよりの計画どおり、正門前で牛乳飲むのは忘れませんでした!
意味ね〜! イイんです。かつお式は半分くらいが意味ない事の積み重ねですから。 でもくだらね〜! 

※最近見つけた資料によると、昭和25年当時の刑務所は下図のように徳川家康の隠居城、駿府城の内堀と外堀の間にあり、現在の場所とは違うことが判りました。
お詫びして訂正いたします。すいませんm(__)m 
ホント意味ね〜! 牛乳飲みなおさなきゃ。。。



@静岡刑務所 A静岡地方裁判所


そう言えば立教の時の場所も、神示によって東京の中心、江戸城お堀端と定められましたね。。。



その後、明主様以下教団関係者、外部関係者の起訴が確定され、舞台は静岡地方裁判所の法廷へと移されました。第1回公判は釈放の約3ヶ月後の10月11日に行われ、以後、公判回数実に41回、2年2ヶ月にわたって法廷で争われました。裁判の論点は、ほとんど唯一の証拠である勾留中の自白の有効性であり、弁護側、検察側双方の主張は最後まで平行線をたどりました。第1審の判決公判は昭和27年12月24日午前10時半同地裁で開かれ、判決内容は全員有罪、明主様には懲役2年、執行猶予3年という信じられない内容のものでした(怒)。これに対し再審すれば勝てる自信のある弁護団は等しく控訴を勧めましたが、明主様は、「短期間で大発展を遂げた教団に対するねたみ、恨みが消えるから結構、執行猶予だからどうということもない。」と控訴を許されませんでした。(でもくやし〜ぃ!)今までどんな事でも決して不正には負けない信念から、たとえ示談が申し込まれても戦い続けた明主様が、今回控訴のお許しを出されなかったのは、一刻の時間すら無駄にできない神業上の理由があったからとも考えられます。くしくも明主様の御昇天はこの裁判に費やされた期間と同じ2年2ヶ月後の事であり、執行猶予中での御昇天であられました。(御神業とはかくも壮絶なものなんだ!)
 しかし一方で教団外の事件関係者達はただちに上告。2年後に東京高等裁判所において全員無罪の判決を勝ち取りました。判決理由は、自白の任意性に疑いが持たれると言うもので、検察側の敗訴となりました。これによって明主様以下教団関係者の無実も、間接的な形とは言え、漸く証明されました。

写真は現在も同じ場所にある、静岡地方裁判所です。


しかし御法難のページはどうしても重い内容になっちゃうなぁ。。。いいえ! 「散花結実」ある高位の神様がこの世に御生れになられた祝福すべき事なんですね!
この祝福すべき昭和25年6月15日の新聞を例によって調べてみました。そしたら、な〜るほど!やっぱりね!な記事がありましたんで、宜しければ下の「はみだしへGO」をクリックして下さい。


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※その他の記事については、「新聞記事」のページ内「御法難」のページでどうぞ。

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