橋場周辺


橋場不動尊 砂尾山 橋場寺 不動院

弘化2年(1845)建立の本堂は当時のままです。
病弱だった明主様はよくここで本を読んだり絵を描いたりしていました。 
この銀杏の樹は老木で明主様が子供の頃からありました。
お母様は栄養失調で乳が出ず、明主様の為にここ蓮窓寺まで乳もらいに来られたそうです。
奥様(以後二代様)のご追憶によると、戦後このあたりに明主様と一緒に来られているようで、その当時はこの蓮窓寺も戦災の為、大変荒れた状態だったそうです。その後明主様の生家跡を探されたそうですが、見つける事はできなかった。と書かれています。
長昌寺
古い地図を見ると境内は今よりずっと広かったようです。
ここは界隈の子供たちのかっこうの遊び場でした。
明主様も始終遊びに来られたそうです。
こちらが長昌寺の聖観音堂です。御光話録には一時期こちらに大変ごりっぱな観音様がいらしたと書いてありました。
今は別の、でもきっとごりっぱな観音様がいらっしゃることでしょう。
観音寺(岡田家菩提寺) ご本尊は十一面観音様

二代様のご追憶によると、明主様はよく「自分には曽祖父がついておられる」とおっしゃっていたそうです。顔形、性格もよく似ておられたようです。
この曽祖父喜左衛門という人物は、人望厚く、施しをし、様々な逸話があります。坊主頭で柔和なお顔立ちのお写真がお寺にかけてあったそうですが、東京大空襲の折に焼失してしまったそうです。本堂の再建には戦後明主様もご寄進なされたそうです。
となりは幼稚園です。よくあるパターンだね!
(御生誕地から徒歩約50分)



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