社会の目・自観戦記


昭和22年8月30日「日本観音教団」発足。
戦前、戦中の厳しい状況にもよく耐え、ようやく宗教法人として本格的に布教が出来るようになりました。そして驚異的発展をとげる観音教は、社会から常に注目される存在になっていたようです。
そんな中大きな事件が起こってしまいました。


某全国紙 昭和23年12月9日



調べられる新興宗教「日本観音教」
大口脱税の疑い
追及は政治献金にも

凡例
●=読めない文字
○=ふせ字
××=ダメだこりゃ〜


新興宗教として信者約十万といわれる「日本観音教」に対し、大蔵省査察部では同教が宗教法人の届出をした昨年八月以前の所得および教主岡田茂吉、管長渋井総三郎両氏の二十一、二年度個人所得などについて約三千万円脱税の疑いをもち、先月十二日以来玉川上野毛日本観音教宝山荘、熱海市東山荘を家宅捜索し、その後も調査を続けているが、本年は決算書に一月から八月まで壱千五百万円の支出しか記入されていないのに、実際には数千万円の収入があることが判明、さらに追及することになった、また法務庁でも悪質政治献金の疑いあるとみて四日以来係官が熱海東山荘に出張、調査している。
岡田教主(66)は指圧療法師をふり出しに岡田式浄化療法を唱え、最初は信仰者のグループとして観音会を設立したが、昨年●宗教団体として正式に届出た、もと大本教の幹部の1人で、その指圧療法は一名、「オサスリ」といい軽い病気などは奇跡的に治すと信者の間では信じられており、有名人の信者も相当多い、熱心な信者には「教導士」の称号が与えられ、現在約三千名の教導士が各地で教義の普及と宣伝に努めているという。--中略--毎週数回行われる教主岡田との面会には、一回二千円ぐらいが信者から納められているという。
渋井総三郎氏は新宿の古洋服屋から出発、所得税申告分給五百万円という豪●ぶりで、教団の資産は二・三十億円と伝えられている。



突然持上がったのは脱税の容疑でした!当時まだ専門家を置いていなかった教団では、この件について外部から2名の弁護士を委嘱して調査にあたらせたそうです。
また「教団資産二・三十億円」という報道は、以後ユスリ、タカリの猛攻撃を招く結果となり、マスコミ、警察、占領軍への投書によって行われる「脅迫型」のユスリも頻発したそうです。

当時の二・三十億円とは、とてつもない金額だったようです。
もちろん立教1年チョッとでそんな金持ちのはずがありません。
しかも二十億と三十億じゃ十億も差があるんですけ怒!イイカゲンだなあ。。。


しか〜し某新聞社では、今回の記事がよほどお気に召したとみえ、翌日も大特集〜と相成りました!


“話の泉”ばりの奇問奇答
観音教主“おひかり様”対面  
(取材は清水町仮本部と思われる)

“霊波療法”を看板に※全国二十万の信徒を集め璽光尊(じこうそん)没落後の民間宗教界にのし上がってきた日本観音教は大口ヤミ利得の脱税行為から大蔵省が目をつけ、さらに法務庁でも宗教に名をかりた政治団体かどうかを調査にかかったが、記者は九日早朝教主「おひかり様」こと岡田茂吉氏に会見を申し込んだ、熱海神社から三分、一千坪の別荘入口には「宗教法人日本観音教熱海教務所」の看板が出ている、新築中の門をくぐって入ると四十畳の大広間はすでに信者でぎっしり、「おひかり様」は最近は査察部の脱税摘発で気が立っているということで昼近くまで待って面会OK。
午前十一時「おひかり様」登場、白髪着流し、右目がちょっと小さい六十六歳中背(ちゅうぜい)の御老体、一同平伏、ジのなおった信者のお礼と来月の安産のお願を聞いたのち、墨で書いてきた信者の質問書にお答えになる、質問は最近の霊界の事情、富士山の出来た年代などもあり、一々明快?なお教えがあってから、最近の政治について 「--中略-- 私のことばかり考える今の政治はダメです。」と断ずる。次々に出る※噴飯(ふんぱん)ものの質問にも「おひかり様」は少しもあわてず即答、まさに観音教話の泉といったところ。

※1日で信徒が十万人程増えているところに御注目あれ! ほんとイイカゲンだなぁ。。。
※噴飯=「メシを噴出す意味」から、がまんできずに笑ってしまうこと



霊の放射が効く 一問一答

写真熱海教団本部の岡田教主
二千数百円で信者に売っている「光明如来」のカケジク
【問】経歴は
【答】コットウ屋に生まれた、美校中退で高村光太郎、成瀬無極氏とは同級だ、小間物商で十八万円もうけたが、大失敗ののち大本教の大森分会長となった、ところが私のほうが大本教よりよく病気を治すので異端者扱いをされ、昭和十年脱退、大日本観音会を設立したが、体に手を触れない療法は当局から禁ぜられたのではじめ指圧をやった、のちに現在の浄化療法に変わった。
【問】どんなやり方か
【答】患部は霊の曇りがあるのだからその曇りにむかって霊波−−私の霊的な力を私の弟子(小先生)を通じ放射すると治る、世間ではこの術を生命の延長術といっている
【問】農作物にも漁業にも効くと信者はいうが
【答】農作物は空中窒素だけで十分で他の肥料はいらない、私の方法によると枯れかかった麦でも生き返る、米などもよそより沢山とれる、海に霊波を放射すると海の神が観音様に奉仕して手を貸してくれるので沢山魚がとれる
【問】信徒の数は
【答】会員は八万、そのほか会員外の信者が多数いる
【問】脱税とみられたのは
【答】観音教は日本宗教団体中一番収入が多いと思うが、宣伝のために全国に数十人を無鉄砲に出したが、この費用は宗教団体には税がかからないとみて帳簿につけなかった、また家屋だけでも数千万円かかった、この別荘は小倉石油の社長からこの春六百万円で、また熱海東山荘は山下汽船の山下亀三郎社長から十九年に家具付七十万円で買ったもので決算書は収入に対し支出が半分ぐらいしかついていない、結局支出不明の金は個人所得とみなすとやられたわけだ。



結局、無税の宗教法人なのに、教団が使ったお金を帳簿につけなかったので、収入は教祖の個人所得とみなされ、払う必要の無かった税金を支払った上に追徴金まで払う事になったみたいです。このケースでは意図的な脱税とは見なされないまでも、教団の完全な失態なので脱税(ホントは申告漏れ)と言われても申し開きは出来ないかもしれません。これは立教1年そこそこで専門家を置かないうちに大発展してしまい、事務は複雑化する上、担当者も布教活動と兼務せざる負えない状況にあった事や、法律、経理の知識が欠如していた事が原因として上げられています。
 さらに教団施設の多くが岡田茂吉名義のままだったそうで、一問一答の中で家屋の値段まで御話になられている中には、この件についての御説明もあったものと拝察されます。
 しかし新聞は興味本意の部分には大きく紙面を割き、本来報道機関として最も伝えるべき容疑の真相については、何故か短く、不明瞭な報道に留まっています。
 事件自体は追徴金を払うことで解決しましたが、この事件で失った信用は計り知れないものがあったと思われます。
その一方で立遅れていた教団組織はようやく整備の方向へと動きだしました。



某全国紙 昭和24年9月26日


信仰宗教と迷信 箱根のお光さま
神様、歯医者のご厄介
一日の上がりがざっと一千万円

箱根の強羅公園に近く豪勢な神殿ずくりの建物が立ちならんでいる、この神殿目ざしてあの急坂をのぼる人々は毎日延々とつづくのである、一体何の神殿かと問えば救世主がまします聖地であるという、この聖地 −−目下新興宗教中の王座に君臨するといわれている「お光さま」こと日本観音教団箱根強羅本部である、救世主は岡田教祖(67)で、人間名は茂吉と言い神様になると仁斎、自観、明麿または神農ともいうのだそうだ、この新興さん果たして迷信的なものかどうか、まずこの聖地に乗りこんでみた (××記者)

 
道場は百二十畳敷き
--省略--
 
全国に信徒二十万名
--省略--
 
先妻は肺病で死亡
--省略--
 ダ
イヤ四百個保有
--省略--
 
政治屋数人入り込む
--省略--

 
一日にお守三千枚
--前略--教団収入は入会金が二百円、会費年約四百円、入信料(講習またはお守り代)三千五百円、これだけはどの信者もとられるから信徒二十万でザッと八億円、このほか経本である岡田氏自作の和歌集(御讃歌)など出版物、三万円以上だといわれる観音像、光明などの掛軸、それにお浄め代と数えたてると相当のものだ、殺到するお守りの注文に岡田氏は光に ‘ (ちょん)を一時間六百枚のスピードで一日五時間以上書きとばすというからお守りだけでも一日最低一千万円以上とはウソのような話



 「ウソのような話」 じゃなくて、も〜嘘だってば〜 v(`皿´)ノ''



「それは昨秋本教脱税問題の際、○○紙が本教の資産二、三十億という途轍(とてつ)もない数字をかいた、何しろ大新聞としての社会的信用から何人も相当の信を置くのである、果然(かぜん)その後ユスリ、タカリ、金貰いや一面識もない者から事業資金やその他種々の金借りの申込が殺到し、一時は忙殺に悩まされたのである。
 ところが最近、またまた○○紙上に、本教一日の収入一千万円以上とかいたので、またしても種々の金ねだりの輩が現われ始めた、一時沈静してやれやれと思ったのも束の間で、当分迷惑のやむなき次第である。
 もちろん、前述の数字はデマのはなはだしいもので本教が一昨年八月宗教法人となり、それからの活動で魔法でも使わない限りそんな巨額な金が入る訳がないではないか」
昭和24年10月22日


※教団の資産=200000万円か300000万円?
「お光」代による一日の収入=1000万円?
 さぁ〜これを当時の物価で比較検討してみよ〜!
清水町仮本部:熱海の一等地、家付き1000坪の別荘=600万円!
樹下美人図(別頁):高価で国が購入を断念した絵画=550万円!
この金額の捻出には、渋井先生の熱海の土地20000坪の売却を必要とした。

 と比較してみると、全くとてつもない金額を書き立てたものである。
これだけの資産・収入があれば某新聞社の株式を買占められますな!


明主様は上記のようなデマ記事に対しては、教団発行の光新聞の御論文で誤りを正すと共に、信徒へは寸鉄でも答えられました!


寸鉄


天に口なし、寸鉄をもって言わしむ
日本の新聞の商業主義が嘘を書かせる
東京の大新聞に、本教団の資産二、三十億と出ていたが、この嘘は約百倍に当る、いわゆる嘘のインフレだね
ゴロツキ新聞、文化的ヤクザ、民主的封建主義、お賑やかなこと。日本。
新聞が嘘を書かなくなる時代が来れば、日本は本当の民主主義国だ
新聞紙の嘘発見器は出ないものかな
本当の嘘と 嘘の本当とを知る事によって一人前さ
新聞や雑誌がジャンジャンいうのでお蔭で信者が殖えたが、強請(ゆすり)も殖えた
文化的物貰いが、来るわ来るわ
虫族の一種である蝿人間、追えども追えども集って来る、これをやっつけるDDTはないかな
毎日のようにユスリが来る事と、本教のニセモノが出来る事によって、本教がいかに発展したかが判るとすれば、大いに喜ぶべきだね

一日一千万円の収入があるというから、誰かと思ったら、ナーンだこっちのことなんだ
宗教にユスリが付物とは、お釈迦様でも、御存じあるめえ
寸鉄は決して悪口は言わない、ただありのままを正直に言うだけだ
ユスリ、タカリに包囲されて目下防戦中
口は文化人、思想は野蛮人、行いは獣類とはチト悪口が過ぎるかな
本教に喧嘩吹っかける奴は相手にならずばなるめえ
 先祖の幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)に申訳ねえから
宗教が喧嘩するとは、キリストやお釈迦様でも呆れるだろう
お光様の邪魔する奴は今に神様からおシカラレ様になるだろう
大なる小新聞としての○○紙、小なる大新聞としての光新聞とはどうじゃ
悪人の怖ろしいのは善人で、善人の恐ろしいのは悪人で、悪人の邪魔をするのは善人で、善人の邪魔をするのは悪人で、悪人は善人があるから飯が食え、善人は悪人があるから損をする
アアくたびれた



デマや中傷記事ばかり書かれていた当時の信者さんは、寸鉄で笑い飛ばしてスッキリしてたんでしょうね。
寸鉄とは本来、短い言葉で笑わせながら、しかも急所を鋭くつく。という楽しくも天国的で高度な教えですが、この「スッキリ」という効能も重要なポイントかもしれません。
 「たけし軍団」の「フライデー襲撃事件」だって寸鉄を知っていたら起きなかったかもよ?。。。「ビートたけしの寸鉄!」
事実、以後数年間厳しいバッシングが続きましたが、かつて明主様が体験されたような大本教に対する弟子達の暴走、熱烈信者による談判のような事件は無かったようです。


某全国紙 昭和24年10月17日


戦後派宗教 不況知らず
ありがたい‘この世’
 ニョキニョキと三百余派

近ごろ新興宗教の繁栄ぶりはすさまじい、この金づまりの不景気をよそに、新興宗教だけはどこもノミ、カンナの音も景気よく増築改築騒ぎだし、また一般大衆も「ヤレ病気だ、事業不振だ、身上相談だ」と、吉凶禍福(かふく)よろず相談をここに持ち込み、そのあげくは多額の金品を奉る、そこでかくは教運隆盛となった−−というところらしいが、一方戦後の御時世で有力檀家は没落し四苦八苦の仏教など既成宗教陣は、これに※蚕食(さんしょく)されて顔色なしの形であるウケに入っている新興宗教の生態を探ってみよう。

文部省宗教課の調べでは、戦前四十三派にすぎなかった宗教団体は現在三百四十余、戦後届出たものだけで約三百というにぎわいで、なお続々と誕生しつつあるという、戦後宗教の布教所、教会は全国で三万ヶ所、信徒総数は一千二百万を越えている。
 これらの新興宗教を教派の系統によって大別すると、神仏混合系と神道系とが相半ばしているが、いずれも教理が簡単、平易であり、教祖はミコのような霊能技術者が大部分だ、--中略--いままでにニュース面で報道された「踊る宗教」(天照皇大神宮教)、観音教、璽光尊(璽宇教)、P・L(パーフェクト・リバティ・完全自由の頭文字)のいずれもが踊ったり、歌ったり、指圧療法的な技術を表面にかかげたりしているのは、その傾向の端的な代表だ。

※蚕食=蚕が桑の葉を食うように、他の領域をどんどん侵していくこと。


単純さが魅力
“企業”めいたのもある


渡辺○○博士(宗教研究家)談=いわゆる新興宗教がこのように盛んになったのは、世相が混乱し、明日の日も計りがたいような今の世相にその基盤がある、特に既成の宗教が高遠の理想と未来の安心を説いて、現実の利益という面にあまり重点を置かない傾向が強かったところへ、新興宗教が単純明確な教理で、現実の助言を与える形式をとったのが、大衆に大きな魅力となった、したがって戦後宗教の多くは“奇跡”を看板にしているものが多い、その宗教を信ずれば病気が治るとか、農作物が良く出来るとかいったことを、しきりにいう、もっとも、必ずしも怪しげなものばかりとはいえず、将来性のあるものもある、しかし中には宗教というよりは企業的性質を帯びている教団もあり、そういうところは金モウケ主義の傾向が強い、いずれにしてもこの現象は、この世相が続く限りつづくだろう、現在宗教団体は、届出制度で別に認可は必要としないから、簡単に一派を起せる、宗教上の取締り法規はなにもない、ただ、医術を悪くいって病人が医師にみてもらうことを禁ずるなどの行為があれば、刑法上の罪になるが、実情は放任の形だ。


さすがに博士だけあって今迄のデマ記事と比べて多少の説得力を感じます。でも名前こそ出さないまでも「奇跡、病気治し、農業」ってこれ、完全ターゲットは「観音教」でしょう!何気に悪役になってます。どうやらこれが当時のマスコミ、そして社会一般の見る目だったようです。
 しかし当時、新宗教の殆どが批判の対象となっていた理由には、不況の最中にあって新宗教だけが教宣をのばしていたという事、怪しい宗教マガイがニョキニョキと出てきた事実、そして税金逃れの為の宗教団体が沢山存在した事、などの世情があったようです。

そして。。。


トップは観音教
教祖の所得一千万円


一番金持ちと思われていた観音教は、とにかくコテンパンに叩かれるのでした。


※今度は所得が1千万円だそうですが(笑)、上記の記事が以後の新宗教全般に対する批判の理論的な柱になったようです。
また現在でもある宗教法人の問題や、我々が注意すべき点を指摘した記事でもありそうです。



某全国紙 昭和24年12月14日

観音教王国の熱海蚕食
景勝の十別荘二十万坪
農地を不法入手
市長もおどり、告訴沙汰起る
(××記者)
 またキミかね。。。

誤った報道は後を絶ちませんでしたが、この記事も全くの事実無根、中傷を多く含む記事でした。
そこで明主様は、熱海市長の抗議文と共に以下抗議文を新聞社に対して送られました。



公器性を反省せよ
  八点の事実無根の報道


貴社益々御隆昌の段奉賀候、さて貴社においては、近来数回にわたって本教団に関する記事を掲載されたが、いつも虚々実々というよりむしろ虚の方が多く、しかも公平な批判の跡なく、誰の眼にも何らかの悪意を蔵している事は看取し得らるるのである、これらの行為は貴社の意向の奈辺にあるや解するに苦しむとともに、再三再四にわたって手を緩める事なく益々本教中傷を止めない以上、この上黙止することは社会の公器たる新聞の使命に鑑(かんが)み許容し能わざるをもって、ここに抗議文をもって解答を要望する次第である。


として以下8項目の事実相違点を、数字なども交えて整然と列挙されています。
その上で。。。


これに対し貴所の公正なる弁明を承りたく、この抗議文を呈す次第であると同時に、右列挙したる相違の点を紙上に掲載し取消し願いたし。
昭和24年12月19日


と結ばれています。


かつお調べによりますと、抗議後の同社による最初の教団関連記事は、約2ヶ月後の2月15日付『読者の声・邪教の実体』という記事で、記者の記事ではなく?元信者と称する人の話として書かれています。内容はほぼ全てが誹謗中傷の類いで、先の8項目については一切触れられませんでした。
更にこの間に、市長の方だけには2度も謝罪状を出した上、GHQとの関係から記者代表が謝罪にも訪れたそうです。
 完全に観音教だけ目の仇って感じ!
と言うより「本当に強い権力」に対してだけは阿附迎合するメディア体質が見苦しい〜!
これが今も日本のクオリティーペーパーとして君臨する新聞社ってんだから。。。黒岩涙香も草葉の陰で泣いてござる。。。
 尚、この記事によると岡田家は遺伝性梅毒だそうです!もちろんこれもウソですが「読者の声」という形さえとれば、なんでも掲載OKの姿勢がアリアリの記事でした。


※↑差別用語が多すぎて今じゃ何処へも掲載出来ないッス。


梅雨の毒茸
戦後の邪教
宗教商売のベテラン
取締りなど30年潜ったお光様




このような誤った報道は御法難事件を挟んで日本の大・中新聞社、雑誌、ラジオまで巻き込みエスカレートする一方で、終いには単なる誹謗中傷記事の様相を呈しています。ようやくそれが収束するのは昭和27年箱根美術館開館の報からです。

当時の信者さん方の御苦労・悔しさも偲ばれます (涙)




敵ながらあっ晴れなイラスト!ワロタ


でもこっちは寸鉄で笑い飛ばせ!


寸鉄は活字のラムネだ、ピリッとしてスーッとする
昭和24年4月20日
ユスリ君のおかげで、寸鉄も大分賑やかでした、お礼を言わないよ
昭和24年11月5日

言葉でスルんだから、言うスリすなわちユスリと申します
悪人を槍玉にあげる本教を槍玉にあげる新聞を槍玉に上げる光新聞ではある
昭和24年11月26日

紙数の多いのを大新聞とすれば、大新聞と小新聞と違うのは、量の問題だね、つまり紙屑で売る時の値段の違いなんだ
哀れなるかな○○紙よ、汝は汝の力をもって汝を没落の運命に落せばなり(馬鹿伝第二章より)
昭和24年12月3日
山椒は小粒でもピリリッと辛い、観音様の御本体は僅か一寸八分とすれば、観音様の新聞も小さいのはあたりまえなんだ、とはチト負惜しみかな
昭和24年12月10日
醍〔提〕婆族、サタン族、パリサイ新聞等が本教めがけていずれも手に空ウソの大砲、活字の機関銃、二枚舌の剣、毒ガスじゃない毒舌を揮い、法螺(ホラ)貝を吹きつつ、ノンノンズイズイ征めたてて来るので、光の一弾を放ったら雲散霧消(うんさんむしょう)屁の河童のごとく消えてしまったのである(これは、自観戦記の一節)
昭和25年1月7日

学者は文字を売り、政治家は主義を売り、作家はエロを売り、新聞屋はデマを売り、○○は貞操を売るんだとすればみんな商品だね、サア入らっしゃい入らっしゃい
昭和25年1月14日

岡田教主一家族梅毒との記事で、せっかく纏(まとま)りかけた縁談が破談になったんだが、そこは神様の御守護と、○○の記事を信ずるタワケもないので、復活して御安心との事
昭和25年3月11日
新聞が、嘘をかかなくなってからが、本当の民主日本とすれば、そうなるのは、まず孫の代だろうよ
寸鉄のネタが無くて困っていたところへ、有難や○○(新聞)殿、見参とは殊勝(しゅしょう)で御座る、褒め遣(つか)わさないぞよ
昭和25年6月3日

何でも彼んでも悪い事があると、きっと本教になすりつけるのだから、本教は立派な贖罪(しょくざい)宗教だよ、キリスト教以来のねー、ヘン、どんなもんじゃい
昭和25年9月13日

新聞は共産党には、名前に氏を付けるが、本教には氏を付けないのは一体どうしたものかと、腹を立てるには及ばない、それでいいんだよ、なぜなれば、昔から氏(うじ)なくして玉の輿(こし)というじゃないか
昭和25年10月25日

しばらく喧嘩の相手がないので、腕が唸(うな)っていたところ、今度東京日日が喧嘩を吹っかけて来たので、ヨシ相手にならずばなるめえー、何しろ先祖の幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)に相済むめえから、相手になってやらねー事もねーが、ヒョロヒョロ新聞と来ちゃ、チットばかり相手にとって不足だからチョッピリばかりやっつけてやるよ、昔から火事と喧嘩と啖呼(たんか)は、江戸ッ子の大好物なんでえー、いいか日々のフイゴの向う面(づら)、徳利(とっくり)野郎奴(め)、筋金入りのオイラの腕で、目に物を見せてやろうか、へン ベランメー
昭和26年9月19日


※日々のフイゴの向う面(づら)=鞴(フイゴ)の向う側にある空気孔は小さく、ふうふう言うことから「息を切らして、どうやらこうやらやっている、青息吐息」の意味。最初の「日々の」の方は毎日々の意味と、東京日日新聞のかけ言葉かな。(笑) でも後にこの新聞とは仲直りします。
※とっくり野郎の意味はわかりませんが、何か笑える 

中身は空っぽ、手も足も出せないで、ただ突っ立っている役立たず野郎って意味かな??? (笑)



関係する寸鉄のみ抽出して並べてしまったのでチト過激になってしまいましたが、実際は様々な話題でバランスのとれた編集となっています。
ただぁ面白すぎてご紹介できない寸鉄があるのも残念です。。。ムフッ
??でも〜(馬鹿伝第二章より)?ってもしかして馬太伝(マタイ伝福音書)のモジリ?。。。ですか?。。。これはチョと過激というか。。。イエス様とその使徒にぃ。。。
でもこれは絶対に違うので、掲載させて頂きます! ニヤリッ



では最後に「東方之光」誌に載っていた占領軍機関紙の記事を。。。 どうぞ!
出っ出た〜手と足が。。。!


日本トリビューン 昭和24年9月21日

日本観音教団についてはさる一月以来脱税問題、政治献金、政治活動、教団資金面などについて規制令適用の立場から調査中であったが、他の宗教団体からの中傷などもあり、新聞や投書などで世間が騒ぐほどでないことがわかった。調査対象のいずれもが根拠薄弱なため、調査を打切ったわけである。
浄霊による療法、無肥料栽培などで反社会性ということも問題になるが、これは規制令のワク外でもあり、信者が高い理解をもっていればこれを問題にすることはできない。

(この新聞と記事については確認できませんでした) 


外国人の新聞だけが比較的冷静な対応をとっているのは、やはりジャーナリズムの成熟度の差なんでしょうかね。
 マスコミには言論・表現の自由が認められ、様々な特権が認められる一方で、公正性・正確性・公平性が求められるという大原則がありますが、これは今日でもどうなんでしょうねェ?。。。その前に善良性が必要かも。
情報の選択権と、印象操作などの技法を駆使すれば、何気に何でも出来ちゃうそうですから。。。(恐)


編集後記
今回は、ことのほか多くの悪意ある新聞記事に接してチョッと驚いたと共に、ちっとも楽しくないページ作りでしたが、途中で何度か「俺の宗教、大丈夫かなぁ。。。」と思う瞬間がありました。ホントの事を知り得る人は、大新聞の嘘や印象操作を見分ける事が出来ますが、大多数の盲目の大衆はコレを信じてしまうでしょうねぇ。。。明主様の御論文のいくつかが、頭をよぎります。
そしてこれらの誤った報道は単に御神業の遅滞やユスリの横行を招いただけでなく、以後の御法難事件、そして第一審有罪判決へと至る社会的な下地を作る結果ともなったようです。
 戦前・戦中の官憲による圧迫に就いては、しばしば語られる所ですが、戦後のメディアとの自観戦記には猶一層の御苦労があったように拝されます。


そして21世紀の現在、今度は逆に一部宗教記事がタブーになりかけています。。。
(たくさんのタブー、利権、偏向、操作、BPOなどなど)。。。大丈夫かなぁ。。。日本のマスコミ


※上記は全てかつおの私見です。 m(__)m



はみだし

寸鉄で2度までも御登場の幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい)とは、江戸初期に実在した町奴(まちやっこ)、荒くれ者の頭領で、浅草花川戸に住んでました。出身は九州の佐賀県ですから本当の御先祖じゃないので、あしからず。
歌舞伎、講談などで有名な「弱きを助け強きをくじく」江戸庶民のヒーローです。歌舞伎で長兵衛が登場する演目はいくつかありますが、中でも新しい方の作品「極付(きわめつけ)幡隋長兵衛」は最もポピュラーな作品で、史実に則ったリアルな作品としても人気がありますが、この作品の初演者、それがやっぱり!
そう!。。。あの


明主様大絶賛の九代目市川団十郎であります!
「またまた登場!待ってました!」

フフッ 明主様もお好きですねぇ。。。
(これは「暫(しばらく)」の見得)


そして彼の為にこの作品を書上げたのが、有名な「河竹黙阿弥(もくあみ)」であります。


黙阿弥の 墓訪(おとなえ)へば松の葉に 時雨(しぐれ)の露のまだきらめくも
昭和8年3月


写真は東京中野「源通寺」にある黙阿弥の墓(中央右)。
俺も好きだなぁ。。。つーか暇だなぁ。。。


それでは最後にもう一度、スッキリして頂きやしょう!


しばらく喧嘩の相手がないので、腕が唸(うな)っていたところ、今度東京日日が喧嘩を吹っかけて来たので、ヨシ相手にならずばなるめえー、何しろ先祖の幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)に相済むめえから、相手になってやらねー事もねーが、ヒョロヒョロ新聞と来ちゃ、チットばかり相手にとって不足だからチョッピリばかりやっつけてやるよ、昔から火事と喧嘩と啖呼(たんか)は、江戸ッ子の大好物なんでえー、いいか日々のフイゴの向う面(づら)、徳利(とっくり)野郎奴(め)、筋金入りのオイラの腕で、目に物を見せてやろうか、へン ベランメー
昭和26年9月19日


「よっ岡田や!」  「一代目!」  「日本一! あっいや世界一!」


※本ページに掲載した新聞記事は、事実や教義と違っていても一部そのまま掲載しました。
また、明らかな誤字・誤植はなおしてあげました。
 




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