世界救世(メシヤ)教は新関西の得票520を加えて1位の妙智会にやや迫り、3位の大光明教会との差を伸ばして調査は終了しました。
 ちなみに1位の妙智会とは、霊友会事件(S24・25)以後分派した日蓮聖人系の法華経の宗教で現在も大教団としてあります。3位の大光明教会は大本教から出た新宗教で、4位5位はご存じの通り。6位の天心教は神道系の新宗教、7位ほんみちは天理教から分かれた教団です。8位の法師会は妙智会同様の霊友会分派で、9位天照皇大神宮教は戦後「踊る宗教」として有名になりました。現在最も信者数を伸ばし注目を集めている真如苑が10位につけているのは順当なところでしょうか。一方で霊友会が26位となっているのは上記事件により当時多くの分派が誕生していたのが原因と考えられます。また太文字の掬営界教団までが20大新宗教となりますが、金光教、生長の家、PL教団、黒住教が以下に甘んじているのは先の霊友会分派が上位をしめている事が一因として考えられます。つまり上記の内1、8、11、15、22、37位と実に6教団が霊友会から分派したばかりの教団であり、事件さえなければ霊友会がダントツのトップであった事がわかります。そして戦後突如として最も爆発的に発展した宗教と言えば、、、残念ながら我が世界救世(メシヤ)教の事ではなく実は霊友会であったという事が見えてきます。
 さらに日蓮聖人系の法華経宗教というカテゴリーに広げてみれば、先の霊友会と上位の立正佼成会(戦前に霊友会より分派)、本門佛立宗が加わり9教団となって、戦後最も華開いた宗教とは日蓮聖人系の法華系宗教であった事が解ります。
 ただしその経典、教義の元は全て釈尊とその弟子と、さらに700年前の日蓮聖人のあの偉業によるものであり、戦後生まれの、無から有を生じて出来た本当の新宗教の中で最も急速な発展をとげたのは、世界救世(メシヤ)教であったと言う事は出来ると思います。そして今回の調査からは圧倒的大差とはいえ、日蓮聖人系宗教に次ぐ第2位の信者数を有する新宗教であったとも言えます!
 さて皆さんの中には現在最も大きな宗教と思われる、あの教団の名前が無い事に違和感を感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。


はみだし@


そう、そうそう!創価学会さんですよね!
その当初は創価教育学会として昭和5年に創立されたそうです。創立者は日蓮正宗の信者さんであり教育者であった方で、日蓮聖人の仏法を活かした教育を実現する目的で日蓮正宗の在家信徒団体として創立されたそうです。名称は戦後になって創価学会となりました。上記調査のあった昭和27年当時の日蓮正宗及びその信徒団体である創価学会もおそらく大変な数の信者さんがいらしたはずですが、日蓮正宗が明治維新以前からの仏教であった為に今回の調査には反映されなかったものと考えられます。ただ創価学会は丁度この調査期間中に日蓮正宗信徒の団体でありながらも東京都の例外的措置によって宗教法人の認証を受けられたそうで(参考資料:Wikipedia)、この政治力からもその大きさがなんとなく垣間見れるような気がします。数が全てではありませんが、やはり数は力なんでしょうねぇ。。。その後池田大作名誉会長のもと、さらに信者数を増やしましたが平成3年に日蓮正宗より破門処分を受けて完全に決別となってしまいます。
下の表は週刊ダイヤモンド、2010.11/13号の「20大新宗教の信者数」という表です。


  教団名   所在地 信者数     教団名   所在地 信者数
 1  幸福の科学  東京都 11,000,000     11  世界基督教統一神霊協会  東京都 560,000 
 2  創価学会  東京都 8,270,000     12  天照皇大神宮教  山口県 471,207 
 3  立正佼成会  東京都 4,089,176     13  金光教  岡山県 430,090 
 4  霊友会  東京都 1,531,932     14  ~慈秀明会  滋賀県 370,000 
 5  天理教  奈良県 1,195,257     15  阿含宗  京都府 343,966 
 6  PL教団  大阪府 981,720     16  善隣教  福岡県 243,963 
 7  真如苑  東京都 887,702     17  世界真光文明教団  静岡県 220,000 
 8  世界救世教  静岡県 835,756     18  ものみの塔聖書冊子教会  神奈川県 218,786 
 9  崇教真光  岐阜県 800,000     19  大本  京都府 170,710 
 10  生長の家  東京都 711,427     20  ジー・エル・エー総合本部  東京都 26,947 
 ※「宗教年鑑(平成20年版)」、各教団へのアンケートを基に本誌作成。
「宗教年鑑」とアンケートの数値が異なる教団についてはアンケートを優先した。
また、海外信者のいる教団については国内の信者に限定した数値を採用した。創価学会は世帯数


世界救世教が大幅に順位を落とす中、新店の~慈秀明会の登場はやはり光ってますねぇ。しかし1位の教団は超新店の幸福の科学となっています。。。ただ幸福の科学は、先の都議選・衆院選・参院選の結果から考えて、現在の実信者数はその1/3以下という試算もあり、一方あの公明党の支持母体である創価学会の数だけが世帯数であってみれば、やはり信者数第1位は創価学会であると言えそうです。そこで再度注目したいのは現在の上位3教団、創価学会・立正佼成会・霊友会がやはり皆日蓮聖人系の法華経宗教であるという事です。戦後突如として大きく華開いた法華経の宗教は今だ日本の新宗教を圧倒的にリードしています。
そして我々の善言讃詞が法華経の中の観音普門品を参考にして創られている事も考え合わせれば、釈尊の教えの神髄とも言われる法華経には一大経綸と神秘が隠されていると言えそうです。


新宗教のなかでとにかくさかんなのは、日蓮宗です。日蓮宗の霊友会一派です。そんなような具合です。それも近来に至って急激に日蓮宗が活動し始めたのです。それはなにかわけがなくてはならないが、ところがわけは大ありなのです。仏教のなかで日蓮宗だけは変わっているのです。他の仏教は全部月の系統です。大体仏教は月の教え――夜の教えです。ところが日蓮宗だけが昼の教え――昼の仏教になるのです。それで日蓮と名前をつけたのです。それで日蓮宗は非常に陽気です。だから仏教のうちでは昼の仏教に入る。ところで、仏教の方でいうと、法華経――法の華です。法華経二十八品のうち二十五番目の観音普門品――これが実になるわけです。そうすると、実が生る前に――実ができる前には華を咲かせなければならない。というわけで、今華やかに活動しているのは、華を咲かせているのです。そうして大体メシヤ教は元は観音さんだったのです。そこで現界的に観音さんを生むという、一つの経綸になっているのです。だから今非常に骨折って華を咲かせているわけです。--中略--華ですから、咲けばやっぱり散りますから――。それはどういう点で散るか、どういうふうに実が生るか、それは言えないが、そういったようなことが今後出るわけなのです。
昭和27年9月26日 秋季大祭御講和


はみだしA


約60年前の「世論に聴く現代宗教(上位37教団)」と現在の「20大宗教の信者数」の表を比べてみると、60年前の11教団が現在の20大宗教を構成しています。。。またその他当時あった教団の7割以上が現在も宗教法人の登録があり、宗教活動を継続されているようです。(かつお式アバウト調べ)もちろんその中には実態不明のものから有名な大宗教まで含まれると思われますが、個人的には以前からやや興味があった宗教について、今回運よく「新興宗教教祖列伝」の中に発見したものがありましたので、最後にはみだしておきたいと思います。
それが「世界救世教」に次ぐ3位だった「大光明教会」です。


昭和27年10月7日 東京日日新聞
新興宗教教祖列伝
大光明教会教祖
深町真光 

風貌もケタ外れなら、いう事もケタ外れではなはだ愉快な御大といった感じ。長い銀髪をオールバックにたらし、ギョろッと目をむきながら『宗教界は腐っとる。政界以上の泥沼だ。既成教団は一体なにしているのだ。おれはこれから噛みついて、ケンカ吹っかけてどんどんやるよ』と大分物騒な気エン。とても七十一歳の老人ではない。
深町考之亮――石川県は前田藩五百石の貧乏武士の伜(せがれ)として生れ、十二歳で横浜正金銀行の小僧となった。父はその時同銀行の用度課長だった。高橋是清(総理・大蔵大臣)が副支配人できた時、その係を仰せつかったりしたが、十七歳で横浜商業に入り、卒業後早稲田の実業で二年遊んだ。文字通り遊んだのであって勉強はしなかった。芝居ばかり見ていたらしい。二年遊んでから日本橋の三越に入った。この三越時代にとにかく一回目の結婚をした(二回目以降は不詳)三越を三年でやめ、義兄とはじめたのが伊豆の金山。これが大当たりに当たってブルジョアになった。彼は昔から黒住教の信者で、岡山まで時々でかけ、神の存在には万更無知ではなかった。三十六歳で出口王仁三郎の弟子になったわけだが、彼の大本教入りを歓迎した出口は間もなく彼に金山なんか売っちゃえ≠ニ告げた。普通の男なら尻込みするところだが、今でも思った事は『やっちまえ』式の大胆な人間だから、即座にヤマを売ってそのころの金で二十万円、そっくり大本教に入れあげた。こんな調子で鎮魂帰神の法にも人一倍一生懸命だったから、出口に重用され間もなく青年隊長になった。大本教内で押しも押されもせぬ大幹部になったわけだが、それも束(つか)の間十年の第一回弾圧が襲ってきて、出口教祖らと検挙されてしまった。


※十年の第一回弾圧=大正10年(1921)の第1次大本事件

昭和27年10月8日 東京日日新聞
新興宗教教祖列伝

大光明教会教祖
深町真光 

第一回弾圧でひっぱられたのは出口に浅野某(和三郎)に、深町という三大幹部。よせばいいのにそこはもって生れた侠気(おとこぎ)、他の二人の罪まで一人で背負って監獄に入った。だからその後出獄した時、出口は五百六十七人の信徒をひきつれて彼を迎えたという。この時お礼に十五万円か二十万円もらって大阪に出て、霊陽会を作った。当時高崎御殿といわれた元府知事邸にでんと納まり、百五十人位の居候をかかえ、自家用車を三台も置いた豪勢さで暮らしていたが、間もなく高崎御殿事件というやつをひきおこした。電気の代りにロウソクをつけっぱなしで家主から火事の危険があるというわけで追い出し食らったが強引に居座り不法占拠かなにかでひっぱられ裁判ざたになった。この居候というのが手当たり次第にひろってきた役者、貧乏人、乞食、未亡人といういわゆる超庶民階級だった。困った人を助けるのは当り前じゃないか。それが宗教というものだ。おれが邸を出たらみんなが困る。不法でもなんでももってこい――という歯に衣をきせず、主張したから弁護士の上村進が色よいいい方を教えたところでムダな話。再び刑をうけた。それまでに大本教の肝いりで安藤紀三郎(陸軍中将)らと昭和新生運動をやり大成功を納めたが、大本教の幹部たちがいい気になり、出口天皇なんぞといい出したのに愛想をつかして手を切った。その新生運動が戦争中の話道会―後の和同会―に発展、東京に拠点を置いてボカボカ演説をぶってまわった。東条が戦時宰相後援会の理事長を餌に三十五万円もってきたがけとばした。あげく戦争なんかやめちまえ≠ニ講演したりしたから、たちまち京都の未決(みけつ)にぶちこまれた。弁護士が水谷長三郎、このころは北一輝(思想家)などと交友を結んで国民運動に熱中していたのだがよくよくケンカが好きな性分らしい。戦争が終るまで未決で遊んでいて、戦後観音教(現メシヤ教)に迎えられたが、なんだかんだで離れて独立、大光明教会を設立してから四年になる。現在栃木に本拠を置くが金をもったらトラックでまいて歩きたい男だからあまり豊かでない。小山内薫(劇作家)を大本教に入れたり、現在内海突破(漫才師)と仲良くしたり、芝居が好きで『宗教は芸術と手を結んで布教宣布すべし』と独自な見解を持っている。そのうち『大光明芸術団』なんぞを作って巡業するかもしれぬ。彼ならやりかねないし、それだけ大胆で新鮮な今後の新興宗教の将来を示唆している話題のつきない教祖である。




以下『光』新聞より


御注意

 本教の別働隊であった日本大光明教会は、この度円満裡に絶縁する事となりましたから、今後一切無関係となった事を、ここにお知らせ致します。
『光』5号、昭和24(1949)年4月18日



医薬に反対せず 足利にまた本教中傷事件

 足利市在本教信者の報告によれば大光明教会会長深町孝之亮氏は去る九月六日足利市において本教誹謗の講演を行ったことについて本教では直ちに左のごとき右反駁の印刷物を関係方面に送付、これが誤解のないよう注意を喚起した。
    ◇   ◇
 昭和二十四年九月六日、足利市緑町の新井○○○方に同地大光明教会信者三十余名を招集し、会長深町孝之亮氏より左のごとき講演をしたのである。
「日本観音教団においては薬剤は不可とするに対し、わが教会はそのような事を言わない、従って右観音教団は医療妨害である理由をもって健康保健所に訴え、保健所を動かし、結局同教団を解散させる計画で、今後日本全国にわたって、逐次この運動を拡充するつもりである」
という事を弁じた事である。
 しかるに、医療及び薬剤については本年三月一日及び四月二十日本教発行の雑誌『地上天国』二号、三号の二回にわたって左のごとき注意書を掲載してある。


信徒諸氏に告ぐ

「本教信徒の中に浄霊の場合医師にかかる事、薬を飲む事、注射をする事等について否定するごとき言葉ありやにて、本教の主旨を履きちがえ、社会の誤解を受ける事は、本教を傷つける結果となる事はもちろんで、この点充分注意され、決して医薬に反対するごとき事なきよう注意されたしとの大先生の思召しを、ここに御伝えする次第である」

 右のごとく、本教団が医薬について、いかに周到の注意を払ってあるかは、右記事によっても明らかである、しかるに深町氏は全然虚構の言を発し、本教団を傷つけ、自己の教線拡充に資せんとする行為は断じて許すべからざるものがある。
 したがって、今後もし医薬否定の言を発するものありとすればそれは本教の真の信者ではなく、他教の信者もしくは贋信者たる事を認識されたいのである。
 ここに、事実を披瀝(ひれき)し、御注意を乞う次第である。

     宗教法人日本観音教団本部
     宗教法人日本五六七教会本部

『光』31号、昭和24(1949)年10月15日



深町教祖は本当にケンカ好きの性分なのか、それとも強い正義感からなのか解りませんが、教義の誤解からこんな騒動も起きていました。(他にも色々あったみたいですけど。。。)
私たちも上記「信徒諸氏に告ぐ」を旨として御論文拝読・浄霊・お導きに努めねば、他教の信者もしくは贋信者たる事を再認識いたしましょう。(微妙なところもありますけど。。。)
尚、大光明教会さんは現在福島県いわき市に本部を置き、信者数約500名(週刊ダイヤモンド2009.09/12)と規模は小さくなりましたが、神道系宗教として活動をされているようです。



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